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マンU伝説の「ファーガソンの雛鳥たち」全選手紹介。ギグス、ベッカム、スコールズ…歴史に名を刻む男たちの肖像

シリーズ:マンU伝説の「ファーガソンの雛鳥たち」 text by 編集部 photo by Getty Images

ベッカムとのコンビネーションは最高峰

ガリー・ネビル
かつてマンチェスター・ユナイテッドで不動の右SBとして活躍したガリー・ネビル【写真:Getty Images】

DF:ガリー・ネビル
生年月日:1975年2月18日(44歳)
トップチームデビュー:1992年9月16日(17歳)
クラブ経歴(リーグ戦成績)
92/93~10/11 マンチェスター・ユナイテッド 400試合5得点
代表歴:イングランド代表 85試合0得点
主なポジション:右サイドバック

 ネビル兄弟の存在もマンチェスター・ユナイテッドにとって重要である。兄のガリー・ネビルは、キャリアを通して不動の右サイドバックとして君臨し、05/06シーズン途中からは退団したロイ・キーンに代わって主将を務めた。

ガリーは92/93シーズンの1992年9月16日、トルペド・モスクワとのUEFAカップ1回戦1stレグで87分にリー・マーティンとの交代でプロデビューを果たした。その後、94/95シーズンには18試合に出場すると、翌95/96シーズンには31試合に出場。クラブでの地位を確実なものとした。

 ガリー・ネビルという選手は、速さ、強さ、高さ、巧さといった点では特別に秀でた選手ではなかった。しかし、戦術眼、状況判断力に優れ、抜群のスタミナ、強靭な精神力を持つ真のプロフェッショナルだった。

 特にユース時代から右サイドでコンビを組むデビッド・ベッカムとのコンビネーションは抜群で、その粘り強い守備でベッカムの負担を減らし、攻撃面でも積極的なオーバーラップを仕掛けることで相手チームのベッカムに対するマークを分散させた。

 また、歯に衣着せぬ発言でアーセナルなどライバルとの対立関係を煽ることも多かったが、ある意味ではそれもエンターテインメントとしてファンは楽しんでいた。いぶし銀ともいえるプレースタイルや毒舌、無造作ヘアに無精髭という風貌もあいまって、ガリー・ネビルのファンだという男性は少なくなかったはずだ。

負傷で長期離脱も不屈の精神で

 ガリー・ネビルがユナイテッドファンから特別に愛される理由は、彼自身が誰よりもマンチェスター・ユナイテッドを愛しているからだった。

 ガリーはクラブ公式サイトのインタビューで「5歳か10歳の頃に初めてグラウンドに出れば、素晴らしいスタジアムで赤いシャツを着て走るチームの虜になってしまうもの。『一生夢中になってしまう』と思い込んでしまう」と語っている。

 その思いは常にピッチ上で体現されており、劣勢では大声で味方を鼓舞し、得点を決めれば全力で喜ぶ。クラブ愛が深いが故に罰金処分を下されることもあった。

 幼少期から憧れていたユニホームに袖を通すだけでなく、キャプテンとして数々のトロフィーを掲げてきたガリーだが、晩年は負傷に悩まされることとなる。

 06/07シーズンの2007年3月17日、プレミアリーグ第30節ボルトン戦で足首の靭帯を損傷。復帰までは13ヶ月を要した。32歳でこれほどの重傷を負ってしまえば選手生命も絶たれかねない。

 それでも、ガリーは2008年4月9日に行われたローマとのチャンピオンズリーグ準々決勝2ndレグで戦列復帰。80分にアンデルソンとの交代でピッチに立つと、その不屈の精神に対してスタンドのサポーターはスタンディングオベーションをもって迎え入れた。

 莫大な移籍金が飛び交い、世界各国から名手が集うプレミアリーグの中で、ライアン・ギグス、ポール・スコールズ、そしてガリー・ネビルの3人が1つのクラブに忠誠を誓い続けた。それがマンチェスター・ユナイテッドが最強だった理由だ。

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