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「日本人はドイツ人よりジョークが面白い」。アペルカンプ真大が語る日本人選手の強みと弱み【インタビュー(2)】

今季、ドイツ・ブンデスリーガでプレーする日本人選手は激減した。フランクフルトの長谷部誠、鎌田大地、ブレーメンの大迫勇也。しかし、もう1人日本人の血を引く選手が“ブンデスリーガー”となるために奮闘を続けている。その名は、18歳のアペルカンプ真大(シンタ)。デュッセルドルフの下部組織でプレーする日独ハーフのMFに全4回のインタビューを敢行した。今回は第2回。(取材・文:本田千尋【デュッセルドルフ】)

text by 本田千尋 photo by Dusseldorf

「日の丸のユニフォームを着た時は本当に嬉しかった」

アペルカンプ真大
フォルトゥナ・デュッセルドルフに所属するアペルカンプ真大【写真提供:フォルトゥナ・デュッセルドルフ】

インタビュー第1回はこちら

 アペルカンプは2000年11月1日生まれ。今年6月にポーランドで開催されたU-20ワールドカップを戦った日本代表と同世代だ。ちなみにそのU-20日本代表のメンバーだった中村敬斗(現FCトゥエンテ所属)は、三菱養和ジュニアユース時代の同期である。

 初めて日本代表の活動に参加した時には、特別な感情が湧いてきたという。日本人だけのチームでサッカーをするのは、渡独直前の15年6月に養和で最後にプレーして以来のことだった。

「日本代表の日の丸のユニフォームを着た時は、本当に嬉しかったですし、誇りに思いました。日本代表でプレーすることは、選ばれた選手にしかできないことなので、本当に一日一日を大事に過ごしましたし、本当に素晴らしい時間でしたね。昔、養和でプレーしていた時の雰囲気がまた戻ってきました。日本にいた頃を思い出しました。日本人は、ドイツ人と比べてジョークが面白い。僕は結構笑うタイプなので、そういう独特な感じが好きなんですよ。楽しかった時間でした」

 また、久しぶりに日本人だけのチームに参加したことで、改めて感じた“日本人の強み”もある。

「日本人の強みと言ったら、やっぱりボールを持ったプレーだと思います。パスの技術だったり、早くプレーしてパス・アンド・ゴー、とか。日本代表の強みと言ったら、僕はそういう場面を思い浮かべますね。そういったプレーを一緒にやるのが代表に合流する前は楽しみでしたし、合流してからは実際に楽しめました」

 一方で、生活面に現れる日本人らしさが、サッカー面では“弱み”にもなるという。

日独ハーフだからこそ感じる日本人の弱みとは?

「ドイツで暮らしていて感じる日本人らしさは、謙虚さとか、丁寧さですね。時間はきちんと守りますし、デュッセルドルフでドイツ人が一番言う日本人らしさは、何事も丁寧に取り組むことや、しっかりと挨拶をすること。そういった日本人の優しさが試合に出ると、サッカー面ではマイナスになることもあるな…とは思っています」

 もちろん日本人の血が流れるアペルカンプも、その「日本人の優しさ」を持ち合わせている。U-19でプレーした2年間は、ジニシャ・シュカ監督から「もっとドイツ人らしさを出せ」と口酸っぱく言われたという。

「一対一の場面で相手に対して優しすぎる、もっとガツンといけ、と言われました。行かないといけないところで、日本人はちょっと遠慮してしまうところがあると思います。ドイツ人は、ボールを取りたいから、ファウルしてもいいから、何でもいいから何も恐れないでガツンと行く。そういったことを監督には、1年半ずっと言われました。正直、うるさいなって思っていましたけど、最終的には、自分にとって良かったなって今は思っています」 

 アペルカンプによれば、シュカ監督は「今の日本には絶対いないタイプ」だという。日本で言うと、一昔前の部活の先生、といったところだろうか。

「自分が思っていることを本当にダイレクトに選手たちに言いますし、監督を嫌っていた選手もいました。僕にとっては、本当にすごくいい監督でしたね。うるさいな、とは思っていましたけど、シュカ監督は、何人もプロになった選手を育てている。この世代で何が大事か知っている監督なので、何言っているんだ?と話を聞いていなかった選手もいましたけど、僕は彼が言っていることは絶対、全部正解だなって思っていました」

「だんだんだんだんとドイツ人の方に。でも自分はやっぱり日本人」

 もちろん人は簡単には変われない。アペルカンプが「1年半ずっと言われました」と振り返るように、シュカ監督に「ダイレクトに」言われたからといって、「日本人らしさ」が現れるプレースタイルをすぐに変えることはできなかった。

「言われて今日、明日には変えられないし、僕もU-19の最初のシーズンで監督に言われて、2年目のシーズンでだんだんと変えられたかな、と思います。だから1シーズン以上は掛かりましたね」

 もっともそれは、もともとの性格や気質が変わった、というよりは、もともと自分の中にあったドイツ人的な部分が目を覚ました、といった感覚なのだという。

「昔は、自分は日本人って思っていましたけど、今、まだ来てから4年半ですけど、もう、だんだんだんだんとドイツ人の方に行ってるかなって思っていますね。でもやっぱり日本人の血も流れているので、自分はやっぱり日本人とも思っています」

 デュッセルドルフに移り住み、ドイツの環境に適応していく過程で、「だんだんだんだんと」“自分はドイツ人である”という意識が強くなってきたという。もちろん“自分は日本人である”という意識が消えて無くなることはない。だがシュカ監督の“直言”は、アペルカンプの中で、日本人としてのアイデンティティに比べ、ドイツ人としてのアイデンティティの比重を大きくすることを手伝ったようだ。

インタビュー第3回はこちら

(取材・文:本田千尋【デュッセルドルフ】)

【了】

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