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レアル・マドリー、優勝でもクビ。2つの不可能を可能にした「銀河系軍団」誕生前夜【レアルの20年史(1)】

世界のフットボールシーンは、この約20年で大きく変わったと言える。ボスマン判決により欧州での選手の契約と移籍のあり方が変わり、今では100億円を超える契約解除金(移籍金)も珍しくはなくなった。その間、名門クラブはどのような変遷をたどったのか。レアル・マドリーの現代史を複数回に渡って取り上げる。(文:西部謙司)

シリーズ:レアルの20年史 text by 西部謙司 photo by Getty Images

借金完済とフィーゴ獲得

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2000年7月にレアル・マドリーの会長に就任したフレンティーノ・ペレス【写真:Getty Images】

 2000年7月、フロレンティーノ・ペレスが新しい会長に就任した。

 ペレスが会長に就任した時点で、クラブの借金は2億5000万ユーロあった。UEFAチャンピオンズリーグへの出場を拒否されうる金額であり、普通のクラブならとっくに潰れている。銀行への利息の支払いだけで7000万ユーロもあった。

 それでもレアルが潰れなかったのはレアルだからだ。返ってこないと知っていても銀行は金を貸した。レアル・マドリーは潰すわけにはいなかいクラブだった。借金漬けで身動きがとれないだったが、新会長は手品のような手腕で負債を帳消しにしたばかりか3億5000万ユーロを金庫に入れた。

 建設業界の大物であるペレスは、マドリード市の都市再開発計画に合わせて一等地にあった練習場(シウダード・デポルティバ)を売却、豪華な新しいトレーニングセンターを作っただけでなく一気に負債を完済してしまったのだ。

 ペレスのモデルはスタジアムにその名がついているサンチャゴ・ベルナベウである。伝説的な名会長に倣い、そのとき最も輝いているスターをかき集めていく。第一弾は選挙公約だったルイス・フィーゴの獲得だった。バルセロナのキャプテンだったフィーゴの獲得は不可能と思われたが、これもあっさりと実現させた。

 借金完済とフィーゴ獲得、2つの不可能を可能にしたレアルは、00/01シーズンのラ・リーガを制する。12月にはFIFAによる「20世紀のクラブ」に選出された。暗雲は一夜にして吹き飛び、21世紀へ華々しく第一歩を踏み出していた。

優勝してもクビ

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99/00シーズンにCL制覇を達成したビセンテ・デルボスケ【写真:Getty Images】

 ペレス会長就任で風向きが変わったレアルだが、その前の流れにも少し触れておきたい。なぜなら、レアルがどういうクラブなのかがよく表れているからだ。

 94/95シーズン、ホルヘ・バルダーノ監督の下でレアルはライバルのバルセロナからリーグタイトルを奪っている。バルダーノは「キンタ・デル・ブイトレ」を解体して世代交代に着手した。かつてリーグ5連覇を成し遂げたエミリオ・ブトラゲーニョを中心とした主力の交代は、誰もが試みながら成功した試しのない難事だった。

 バルダーノは、バルサから移籍してきたミカエル・ラウドルップとチリ人ストライカー、イヴァン・サモラーノを攻撃の軸に据え、十代のラウル・ゴンサレスをデビューさせる。会長選挙ではラモン・メンドーサが対抗馬のペレスを僅差で破って三選を果たしていた。「ドリームチーム」と呼ばれたバルサの黄金時代に終止符を打ち、ロッカールームを仕切っていた古参選手を整理、世代交代にも成功し、新たな黄金時代を迎えるかにみえた。

 ところが95/96シーズンにすべてが暗転する。第22節時点で8位だったバルダーノ監督は更迭され、“便利な男”ビセンテ・デルボスケが1試合だけつないでアルセニオ・イグレシアス監督へ渡したが、リーグ6位でフィニッシュ。このシーズン無冠に終わり、しかも11月には3選を果たしたばかりのメンドーサ会長が辞任していた。92年からのスタジアム改修に金がかかりすぎていて、幹部から責任を追及されたメンドーサに替わり、副会長のロレンソ・サンツが新会長に収まっていた。

 96/97シーズンは未曾有の大補強を行った。ボスマン判決によってEU選手が外国人枠から外れたからだ。ダボール・シュケル、ペジャ・ミヤトビッチ、クラレンス・セードルフを獲得し、監督には優勝請負人といわれたファビオ・カペッロを据えた。

 バルサとのデッドヒートを制してリーグ優勝を果たしたが、カペッロ監督は「守備的すぎる」と批判されて退任している。カペッロは後にもう一度、優勝しながら同じ理由で解任されるのだが、こんな理由で優勝監督をクビにするクラブは他にない。監督はタイトルを獲れなければクビだが、面白くなくてもクビになる。

迷走しながらもタイトルを獲る

 97/98シーズンの指揮を執ったユップ・ハインケス監督も1シーズンかぎり。こちらはCL優勝したがリーグが4位で、CL決勝のときにすでに退任が決まっていた。

 98-99シーズンはホセ・カマチョ新監督がわずか22日で辞任。コーチングスタッフの人選で幹部と衝突があった。98年ワールドカップでオランダをベスト4へ導いたフース・ヘディンクを監督に迎えたが、ヒディングも2月にクビ。クラブに借金が多すぎて補強ができない、選手にプロ意識がなく夜遊びばかりしていると不満をぶちまけたのが原因だった。

 サンツ会長は「本当にそう言ったなら5分後にはクビだ」と言っていたが、実際におよそ20日後にヒディンクはレアルを去った。シーズン3人目の指揮官はジョン・トシャック、最後は2位だったがバルセロナとは11ポイントの大差をつけられた。

 99/00、ニコラ・アネルカを獲得したがロッカールームの統制はますますとれなくなり、匙を投げたトシャックが辞任。11月時点の順位は何と11位、チームはバラバラで秩序がなく、監督のなり手もいない。こうなると選択肢は1つ、デルボスケ3度目のケア・テイカーである。リーグは5位がやっとだったが、CL優勝を果たす。

 会長は代わり、借金ばかりが増え、スター選手を無定見に補強してロッカールームの秩序は崩壊、監督はメリーゴーランド……。しかし、このジェットコースターのような6シーズンにリーグ優勝2回、CL制覇2回、インターコンチネンタルカップも手にしているのだ。混乱しながら要所でタイトルは獲っていく。レアルとはそういうクラブである。

ジダンたちとパボンたち

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2001年にレアル・マドリーに移籍したジネディーヌ・ジダン【写真:Getty Images】

 ペレス新会長でスタートした00/01シーズン、獲得したフィーゴ、クロード・マケレレと、すでに中心選手に成長していたラウル、フェルナンド・モリエンテス、クラブの顔であるフェルナンド・イエロが中心になってリーグ優勝を果たした。CLはベスト4だったが、デルボスケ監督初のフルシーズンは上々の出来といっていい。

 01-02シーズン、フィーゴに続いてジネディーヌ・ジダンが来た。ペレス会長は毎年1人ずつ、超大物を獲得していく方針を明らかにしていた。「ジダンたちとパボンたち」と呼ばれた施策だ。ジダンなど超大物を1人ずつ獲得し、フランシスコ・パボンのようなカンテラ出身者と組み合わせるという方針である。高額年俸のスターと金のかからない育成した選手による編成など、およそ強化方針とはいえない。実際のところ、これは経営方針だった。

 大物獲得が「1人」というのがポイントで、実体は高年俸の余剰戦力のリストラなのだ。そしてレアルは超大物スターの肖像権を抑えた。クラブから得る年俸より広告収入のほうが多い選手もいる中、出演料がクラブにも入るようにした。フィーゴやジダンのユニフォームは世界的に売れ、アジアや北米への遠征でレアルの名を浸透させていく。「ジダンたち」はクラブの広告戦略に組み込まれていたわけだ。

「デルボスケを失望させてはいけない」

「ジダンたち」はアタッカーだ。守備はカンテラーノでいいという方針は、現場を無視した暴論といっていい。そのアンバランスな編成の舵とりを任されたデルボスケは、ある意味うってつけだった。彼でなければ上手くやれなかったと思う。

 ビセンテ・デルボスケは70年代の中心選手の1人だった。その後、クラブの下部組織の監督や強化部などを歴任し、たびたび暫定監督としてトップチームの指揮も執っていた。クラブの生き字引であり、いざというときに便利な男。監督としてのデルボスケは表面上何もしない。テクニカルエリアにいても、巨体をフィールドに向けて小首を傾げるだけだった。

 しかし、ロッカールームの秩序は蘇り、攻撃偏重のチームはアンバランスなまま勝っていく。レアルは伏魔殿であり、メディアの中にも敵と味方が混在し、常に誰かが足を引っ張ろうとする。絶大な権利を持つ会長の方針は無理難題。その中でデルボスケは淡々と、正気を失わず、平等にして正論を貫いた。「デルボスケを失望させてはいけない」、それは全選手がわかっていたと思う。後の「ジダンを怒らせていけない」と同じだ。そうなることはないのだが、もしそうなったときは全てが終わるからだ。

 当初は適応に苦労したジダンも終盤には不可欠の存在となり、ハンプデンパークでのCL決勝では伝説的なボレーシュートで優勝をもたらした。リーグは3位だったが、デルボスケ監督はタイトル獲得のノルマを果たし、魅力的なプレーというもう1つのノルマもクリアしていた。

 翌年、ロナウドがやって来て「ロス・ガラクティコス」の全盛期に入る。同時に、それは補強というよりコレクションだった華やかな時代の終焉の合図でもあった。

(文:西部謙司)

【了】

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