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「退屈なアーセナル」にやってきたアーセンって誰? ベンゲルが進めた改革の第一手【アーセナルの20年史(1)】

世界のフットボールシーンは、この約20年で大きく変わったと言える。選手の契約と移籍のあり方が変わり、名門クラブも栄枯盛衰を経験している。そこで複数回に渡ってアーセナルの現代史を辿っていきたい。今回は第1回。(文:西部謙司)

シリーズ:アーセナルの20年史 text by 西部謙司 photo by Getty Images

「退屈なアーセナル」

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ジョージ・グラハムはアーセナルを9シーズン指揮した【写真:Getty Images】

 アーセン・ベンゲルがアーセナルの監督の迎えられたとき、ファンの反応が「アーセンって、誰よ?」だったというのは有名な話だ。アーセナルは歴史あるクラブだが、ベンゲル監督なしには語れない。

 ただ、ベンゲル以前にも何度かの黄金時代があった。最もベンゲル時代に近いのは1986年から9シーズンを率いたジョージ・グラハム監督のときである。

 ジョージ・グラハム監督が作ったのは守備のチームだった。ベンゲル以後のアーセナルは洗練された攻撃型のスタイルになっていて、現在のファンが知っているのはこちらのほうだろう。しかし、グラハム監督下のアーセナルといえば「1-0のアーセナル」であり「退屈なアーセナル」なのだ。英国ではしばしばコメディアンのネタにされていたぐらいで、アンチ・フットボール的なプレースタイルで有名だったのだ。

 トニー・アダムス、ナイジェル・ウィンターバーン、リー・ディクソン、マーティン・キーオンの4バックは「フェイマス4」と呼ばれて堅守を誇っていた。典型的なフラット4のゾーンディフェンスで、アーセナルの試合ではオフサイドの山が築かれた。グーナー(アーセナルのサポーター)にとっては声を揃えてのオフサイド・コールは快感だったが、対戦チームのファンからすれば、試合がブツ切りになるうんざりするような守備戦術だったに違いない。

 グラハム監督が就任した86/87シーズンにクラブ初のリーグカップを獲得すると、88/89は18年ぶりのリーグ優勝を達成。90/91にも優勝し、92/93はFAカップとリーグカップに優勝、93/94はカップウィナーズカップ優勝。無冠に終わった87/88でもリーグカップ準優勝、91/92はコミュニティシールドに勝っていて、94/95もカップウィナーズカップ準優勝。まったく何もなかったのは89/90だけだった。ベンゲル時代の栄光は印象的だが、グラハム時代もけっこうな黄金期なのだ。

「アーセンって誰よ?」

 守備が特徴のアーセナルで攻撃のエースだったのが、アラン・スミスとイアン・ライトである。どちらも俊足でカウンターアタックから多くの得点をゲットした。

 本来なら、あと数年はジョージ・グラハム監督の時代が続いていたはずだった。ところが、選手獲得の際にリベートを受け取っていたことが発覚し、1995年に解雇されてしまう。ブルース・リオクが1シーズン指揮を執り、ベンゲルへ引き継がれることになった。

 アーセン・ベンゲルはASモナコの監督としてリーグアン優勝、カップウィナーズカップ準優勝で手腕が広く認められるようになり、モナコを退任したときにはバイエルン・ミュンヘンが契約に動いていた。しかし、ベンゲルはJリーグの名古屋グランパスエイトの監督に就任し、しばらくヨーロッパから遠ざかっていた。そのため、いくぶん忘れられかけていて、アーセナルにやって来たときに「アーセンって、誰よ?」という反応があったわけだ。

 当時、アーセナルの経営陣はバルセロナのヨハン・クライフ監督の獲得も考えていて、もしそれが実現していればアーセナルはまた違う歴史を辿っていたかもしれない。ともあれベンゲルは来た。そして、次々と斬新な手法で改革を進めていった。

飲酒問題と戦ったベンゲル

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アーセン・ベンゲルは1996年10月にアーセナルの監督に就任した【写真:Getty Images】

 キャプテンのアダムスは当初、「この監督はフットボールを本当に知っているのか?」と怪しんでいたという。このころのアダムスは飲酒でしばしばトラブルを起こしているが、ベンゲルが最初に手を付けたのが飲酒文化からの離脱と食事改革だった。それはフットボールの母国に根づく文化と、銀縁メガネの細身のフランス人監督の対決といえる。

 飲酒はイングランドのフットボールと切っても切れない関係にあった。アマチュアクラブの集合場所が地元のパブ、プロチームでも酒を酌み交わしながらミーティングというのが当たり前。飲酒をめぐるトラブルでは1970年代のビッグスター、ジョージ・ベストが有名だったが、ほかにも名だたるスターがことごとく飲酒問題を抱えていた。

 アレックス・ファーガソンがマンチェスター・ユナイテッドの監督に就任したときも、まず飲酒の問題と向き合っている。フランス人のベンゲルにしてみれば、あまりにも酒を飲みすぎるフットボーラーに驚かされたかもしれない。

 ベンゲル監督は飲酒を制限し、食事の重要性も説いた。試合前にピザやジャンク・フードを食べていた習慣は改められ、試合前日にはパスタを食べるようになった。こうした食事や栄養の知識はとくに目新しいものではなかったが、保守的で遅れていたイングランドでは珍しく、メディアでも大きく取り上げられている。

 最初のシーズンは3位。当時のイングランドでは外国人監督そのものが珍しく、ベンゲルのアーセナルに話題性はあったが成績はいまひとつだった。しかし、ここからベンゲルはさらに改革のアクセルを踏み込むことになる。

(文:西部謙司)

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『フットボール批評issue29』


定価:本体1500円+税

≪書籍概要≫
なぜ、あえて今アーセナルなのか。
あるアーセナル狂の英国人が「今すぐにでも隣からモウリーニョを呼んで守備を整理しろ」と大真面目に叫ぶほど、クラブは低迷期を迎えているにもかかわらず、である。
そのヒントはそれこそ、今に凝縮されている。
感染症を抑えながら経済を回す。世界は今、そんな無理難題に挑んでいる。
同じくアーセナル、特にアルセーヌ・ベンゲル時代のアーセナルは、一部から「うぶすぎる」と揶揄されながら、内容と結果を執拗に追い求めてきた。
そういった意味ではベンゲルが作り上げたアーセナルと今の世界は大いにリンクする。
ベンゲルが落とし込んだ理想にしどろもどろする今のアーセナルは、大袈裟に言えば社会の鏡のような気がしてならない。
だからこそ今、皮肉でもなんでもなく、ベンゲルの亡霊に苛まれてみるのも悪くない。
そして、アーセナルの未来を託されたミケル・アルテタは、ベンゲルの亡霊より遥かに大きなアーセナル信仰に対峙しなければならない。
ジョゼップ・グアルディオラの薫陶を受けたアーセナルに所縁のあるバスク人は、それこそ世界的信仰を直視するのか、それとも無視するのか。

“新アーセナル様式”の今後を追う。

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【了】

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