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ボール支配率の時代は終わった。根底から揺らいだボゼッションサッカーの系譜【戦術の教科書(2)】

常に進化し続けるサッカー界の「戦術」。世界的サッカー史家がサッカーの進化を読み解く『戦術の教科書』(ジョナサン・ウィルソン、田邊雅之著/2017年刊)から、一部を抜粋して全3回で公開する。今回は第2回。(文:ジョナサン・ウィルソン、田邊雅之)

text by ジョナサン・ウィルソン photo by Getty Images

今ではボール支配率が勝利に直結しないケースも多々

バルセロナ
「ポゼッションサッカー」で一時代を築いたグアルディオラ率いるバルセロナ【写真:Getty Images】

 若い読者のみなさんはご存知ないかもしれないが、1872年、イングランド代表が史上初の公式国際試合に臨んだ時のフォーメーションは、極端な逆三角形の1-2-7だった。

 以降、100年を優に超える歴史の中で、フォワードの枚数は確実に減っていくことになる。1-2-7はやがて2-2-6となり、2-3-5、そして3-2-2-3(W-M)と変化していく。そして4-2-4、4-3-3、4-4-2、4-2-3-1へと変わり続け、最後に生まれたのが4-6-0だった。

 確かにグアルディオラ時代のゼロトップは、メッシの存在抜きに語れないだろう。だがゼロトップは、グアルディオラとメッシの間だけで起きた化学変化ではなかった。ゼロトップに先鞭をつけたとされるのはASローマだったし、バルセロナがゼロトップでヨーロッパに君臨する前には、マンチェスター・ユナイテッドがやはりゼロトップでヨーロッパの頂点に立っている。つまりグアルディオラのゼロトップとは、戦術の正常進化がもたらす、帰結の1つだったといえる。

 しかしこの事実だけをもって、モウリーニョ流のアプローチを、戦術史における徒花と捉えてはならない。

 守備を固めてゴールを狙うスタイルは、1900年代初頭、ハーバート・チャップマンがノーサンプトン・タウンでカウンターアタックに先鞭をつけて以来、独自の進化を見てきた。モウリーニョは異端児などでなく、戦術の発展史における、もう1つの系譜を受け継いだ人物だと解釈するのがふさわしい。

 そもそもポゼッションかカウンターかという神学論争は、昨日今日に始まったものではない。むしろグアルディオラとモウリーニョという2人の戦術家は、21世紀の現代において、神学論争を最も先鋭化させる役割を、たまたま担ったに過ぎないのである。

 ただし、水と油の如き両者の哲学は、奇しくも共通の現象も発生させている。それが極端なまでのボール支配率の乖離だ。

 近年、ヨーロッパのフットボール界では、一方のチームが70%ものボール支配率を記録するような試合が時々、目撃されるようになった。

 おそらくこれが10年前だったならば、支配率70%などというのはスキャンダラスな事件以外の何物でもなかったはずだ。だがグアルディオラのバルセロナが登場してからは、何ら目新しい現象ではなくなっている。

 ところが、ボール支配率が持つ意味合いは、そこからさらに変容している。

 グアルディオラのバルセロナが無類の強さを誇っていた頃、70%の支配率は、ほぼ間違いなく勝利に直結していた。しかし時間が経つにつれ、70%もの支配率を記録することが、勝利に直結しないケースが出てくるようになる。

 それどころかカウンター戦術が浸透した結果、30%しかボールを支配できない側が実質的にゲームの主導権を握り、勝利をものにする試合さえ珍しくなくなった。「ポゼッション」という言葉の含蓄そのものが、根底から揺らぎ始めたのである。

 このようなパラダイムシフトを招いたキーパーソンの1人がモウリーニョであることは、改めて指摘するまでもないだろう。

 モウリーニョのアプローチは、一般のファンから唾棄されたかもしれない。だがバルセロナ時代のグアルディオラが世の注目を一身に浴びたように、モウリーニョもまた、フットボール界の住人に決定的な影響を及ぼした。

 事実、「グアルディオラ・バルサ」の治世が終わってから現在に至るまで、ヨーロッパにおいてトレンドとなってきたのは、モウリーニョの手法に一脈通じるようなカウンター重視の戦術だった。

(文:ジョナサン・ウィルソン、田邊雅之)

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