無敵のアーセナルを作ったベンゲルの手腕。閉鎖的な英国サッカーでは革命的だったコネクション【アーセナルの20年史(2)】

世界のフットボールシーンは、この約20年で大きく変わったと言える。選手の契約と移籍のあり方が変わり、名門クラブも栄枯盛衰を経験している。そこで複数回に渡ってアーセナルの現代史を辿っていきたい。今回は第2回。(文:西部謙司)

2020年01月07日(Tue)10時40分配信

シリーズ:アーセナルの20年史
text by 西部謙司 photo Getty Images
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“フレンチ・コネクション”

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17歳でアーセナルに加入したニコラ・アネルカとアーセン・ベンゲル監督【写真:Getty Images】

 アーセン・ベンゲル監督に率いられて2年目、1997/98シーズンにリーグとFAカップの“ダブル”を達成する。アーセナル史上では70/71シーズン以来の快挙だった。

 2001/02シーズンにもダブルを成し遂げ、03/04には無敗優勝でインビンシブル(無敵)と称賛される黄金期を迎えることになる。最初のダブルから9シーズンは、アーセナルが最も輝いていた時代だった。

 禁酒、食事改革、トレーニング改革とベンゲルはチームを取り巻く環境を変えて成果を出していったが、その手腕が最も発揮されていたのは選手獲得だろう。

 97/98シーズンに獲得したのはマルク・オフェルマルス、エマニュエル・プティ、ジレ・グリマンディ。その前の96/97にはパトリック・ビエラ、レミ・ガルデ、ニコラ・アネルカを獲得している。プティとグリマンディはベンゲルが指揮を執っていたASモナコから、ガルデは古巣ストラスブールからの引き抜きだった。アネルカはパリ・サンジェルマンからなので直接の関係性は薄いが、ベンゲルは就任当初から“フレンチ・コネクション”を活用している。その後もティエリ・アンリ、ロベール・ピレス、シルヴァン・ウィルトールと、フランス人選手の獲得は補強の核になっていた。

 1995年にはすでにボスマン判決が出ていて、ヨーロッパでは選手の大移動が始まっていた。プレミアリーグも例外ではなかったが、ベンゲルがアーセナルに来た当初はまだ保守的な傾向が根強く残っていた。外国人の監督はプレーイング・マネジャーだったルート・フリット、オズワルド・アルディレスしかおらず、外国人選手は急速に増えていたものの、プレミアリーグに合わない、監督が使いこなせないというケースは少なくなかった。

 ベンゲルは、大量の外国籍選手をチームにフィットさせた最初の監督だった。外国籍選手への門戸開放とともに、保守的なイングランドのフットボールを開国させたといっていいかもしれない。

初のインターナショナルなマネジャー

 イングランドの監督はマネジャーと呼ばれる。もともと練習指導はキャプテンの役割で、マネジャーはスケジュールやグラウンドの管理など事務仕事を統括していたからだ。やがてコーチやトレーナーが現れたが、練習には全く顔を出さないマネジャーは珍しくなかった。マンチェスター・ユナイテッドのマット・バスビー監督は練習の指揮を執ったが、そのために“トラックスーツ・マネジャー”と呼ばれて珍しがられていたぐらいなのだ。

 イングランドの監督(マネジャー)にとって最も重要な仕事は補強である。それぞれの監督はスコットランド、アイルランド、ウェールズ、北アイルランドに強力なコネクションを持ち、イングランド以外の“外国人選手”を獲得して成果を出していた。ただし、UK外にコネクションを持つ監督はほとんどいなかった。フットボールに関してイングランドは閉鎖的だったのだ。

 ベンゲルはフランス、フランスと関係性の深いアフリカ諸国、ベルギー、ドイツなど、広範囲の情報とコネクションを持っていた。高い移籍金を払って有名選手を買うのではなく、まだイングランドでは知られていない才能と優先的に交渉できる有利さがあった。

 17歳のニコラ・アネルカ獲得は象徴的である。アネルカはパリの国立養成所の1期生で、同年代のティエリ・アンリよりも将来を嘱望された天才少年だった。現在なら、14歳時点でアネルカの名は世界中のスカウトに届いているはずだ。しかし、96年当時は一部のフランス人しか知らなかった。ベンゲルはもちろん知っていた。だからパリ・サンジェルマンで10試合にプレーするや、かっさらうようにロンドンへ連れて行ったのだ。

 最初のダブル達成において、アネルカは決定的な役割を果たしている。エースのイアン・ライトの負傷で出番を得ると、11月のマンチェスター・ユナイテッド戦で初ゴール。FAカップ決勝でも得点した。全く無名の少年が優勝の立役者になっていた。英国どころか母国フランスでも、それほど知られた選手ではなかったのだ。

洗練された世代交代

 ベンゲルは、アーセナルを魅力的な攻撃型のチームに変えた。そして、そのやり方でプレミアリーグに優勝できることも証明した。ただ、プレースタイルはそれほど特殊なものではない。

 当初はジョージ・グラハム時代に“フェイマス4”と呼ばれたディフェンスラインをそのまま温存している。FWのライトやデニス・ベルカンプはすでにチームにいた。ベンゲルが変えたのはMFの4枚だけなのだ。ビエラ、プティ、オフェルマルスにレイ・パーラーの中盤は当時のプレミアクラブとしては技巧的かもしれないが、どちらといえばハードワークの選手たちであり、4-4-2のプレースタイルも他のチームとそれほど違っていたわけではない。

 ベンゲルはプレーの原理原則は重視するが策士のタイプではなく、現在の用語でいうなら「エコロジカル」なタイプの指導者だ。戦術に選手を当てはめるのではなく、おおまかなルールの中で選手を生かし、生かすためのルールを作る。後年には戦術的な工夫も加えているが、もともと戦術家よりもマネジャーとして卓越していたといえる。

 セリエAで全く活躍できなかったベルカンプとアンリを復活させ、さらに大きく飛躍させたように、燻っている才能を引き出すのが上手かった。ASモナコ時代にはジョージ・ウェアを開花させ、名古屋グランパスエイトではドラガン・ストイコビッチを復調させている。

 ダブルの後の98/99シーズンをマンチェスター・ユナイテッドと1ポイント差の2位で終わると、レアル・マドリーへ移籍したアネルカと入れ替わりにアンリが移籍してきた。99/00、00/01はいずれも2位、01/02に二度目のダブルを達成する。

 このときにはディフェンスラインもすっかり入れ替わっている。GKデイビッド・シーマンは健在だったが、トニー・アダムスとリー・ディクソンが引退。ソル・キャンベルが守備の中心になっている。サイドバックもローレン、アシュリー・コールの新世代へ。MFにはピレス、ウィルトール、フレディ・リュングベリが加わっていた。

 着々と周囲の先手を打って補強を続け、いつのまにか主力が入れ替わっている。このあたりの洗練された世代交代もベンゲルらしかった。

(文:西部謙司)

【了】

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