バルセロナ、迷走期の真実。戦術から選手まで…劇薬ファン・ハールによるオランダ化の反動【バルサの20年史(1)】

世界のフットボールシーンは、この約20年で大きく変わったと言える。選手の契約と移籍のあり方が変わり、名門クラブも栄枯盛衰を経験している。今回は120年を超える歴史を持つバルセロナの現代史を複数回に渡って辿っていきたい。(文:西部謙司)

2020年03月03日(Tue)10時00分配信

シリーズ:バルサの20年史
text by 西部謙司 photo Getty Images
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オランダ化の反動で始まった21世紀

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【写真:Getty Images】

 20世紀の終わりとともに、22年続いたホセ・ルイス・ヌニェス会長の時代が終焉を迎えた。ヌニェスが推したルイ・ファン・ハール監督の解任とともに、会長から退いている。ヌニェスとともに長年クラブを支えてきたジョアン・ガスパールが新会長となり、21世紀の幕が開けた。

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 2000年のシーズンオフ、ルイス・フィーゴがレアル・マドリードに移籍する。禁断の移籍はファンを騒然とさせ、レアルを迎えたクラシコでは夥しい物がフィーゴめがけて観客席から投げ込まれる事態に。投げ込まれた物の中にはブタの頭部の皮まで混ざっていた。

 この00/01シーズンに監督に就任したのは強化部門にいたロレンソ・セラ・フェレールである。セラ・フェレールはマジョルカ、ベティスを率いて実績を上げた監督だが、バルサに来てから3年が経過していた。ファン・ハールの後にセラ・フェレールという人事は、ファン・ハール時代にあまりにもオランダ人選手が多くなっていた反動だろう。

 バルサのプレースタイルはオランダ由来である。アヤックスから来たビク・バッキンガム監督に始まってリヌス・ミケルス監督を経て、ヨハン・クライフ監督が「ドリームチーム」を作り上げた。8シーズン率いたクライフ監督の時代に、現在のバルサの基礎が築かれている。

 しかし、ファン・ハール監督はオランダ風の戦術だけでなく、オランダの選手を大量に起用していて、バルセロナはまるでアヤックスの植民地のようになってしまった。ファン・ハールの解任に伴って、輸入オランダ人選手に頼るのではなく、カンテラを重視しようという流れに変わったわけだ。

 ジェラール・ロペス、マルク・オフェルマルス、エマニュエル・プティが加入したが、フィーゴ退団の影響は否めず、セラ・フェレールは1シーズンもたず4月には解任されてしまう。首位レアル・マドリーとの差は17ポイントに開いていた。

「スペイン人とオランダ人の間に対立があり、監督もロッカールームをまとめきれなかった」

 そう振り返るプティは、このシーズンかぎりでチェルシーへ移籍している。

リバウドを左ウイングに固定したファン・ハール

 セラ・フェレールの後任にはクラブのレジェンド、カルレス・レシャックが就いた。レシャックは1973/74シーズン優勝メンバーで、クライフとともに華麗なアタックラインを形成した名選手だった。ドリームチーム時代にはクライフ監督の右腕としてアシスタントコーチを務めていたが、その前に暫定的に指揮を執っている。そのときはルイス・アラゴネス監督とクライフの間をつないだわけだが、クライフが心臓病で入院したときにも代行監督だった。クライフ解任後も暫定監督を務めている。後に強化部長などを務め、リオネル・メッシのカンテラ加入を決めた人物としても知られている。

 レシャックはレアルにおけるビセンテ・デルボスケとよく似ていて、いわばクラブの生き字引のような存在。困った時には暫定監督も任せられる、クラブにとっては便利な人だった。

 00/01シーズンの最終節、リバウドのハットトリックでUEFAチャンピオンズリーグ(CL)出場権を獲得している。このバレンシア戦は、来季のCL出場権(4位)がかかっていた。リバウドはFKをねじ込み、ミドルを叩き込む。そして終了近くの88分にはゴールを背にした胸トラップからオーバーヘッドで3-2の決勝点をゲットする。引き分けならバレンシアが4位だったため、まさに値千金、あまりにも劇的なゴールに多数の観客がピッチになだれ込んだ。

 1997年にロナウドと入れ替わりでバルセロナに移籍してきたリバウドは、この時期のエースだ。1999年にはバロンドールも受賞。長身の左利き、プレーメーカーというよりストライカーで、強引なミドルシュートや高速クロスは格別。まだその名が世界的に知られていなかったころ、鹿島アントラーズでプレーしたレオナルドに次世代のホープを聞いたとき「リバウドだ」と即答していた。

 実際、リバウドはブラジル代表のレジェンドになるのだが、バルサでは活躍しながらもファン・ハール監督とは上手くいっていない。中央でプレーしたいリバウドに対して、ファン・ハールは左ウイングに固定したがっていた。

バルセロナの迷走期

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【写真:Getty Images】

 01/02シーズン、レシャック監督はパトリック・クライファートをトップに、リバウドと新加入のハビエル・サビオラを2シャドーに置く「トリデンテ」(三つ叉の矛)を形成。序盤は猛威をふるったものの、リバウドの負傷もあって失速し、レシャックは退任してファン・ハールが再び招聘された。

 ファン・ハールが来てリバウドが去り、新しい10番のシャツはフアン・ロマン・リケルメに与えられている。ところが、ボカ・ジュニアーズから獲得したときの決断にファン・ハールは関与しておらず、「自分が望んだ選手ではない」と公言する始末。結局、リケルメとファン・ハールはそりが合わずじまいだった。練習中にリケルメがボールに触れるたびに「ワンタッチ」と指示していたという。リケルメは何とか順応しようとしていたが、そのうちにファン・ハールのほうが解任されてしまった。

 03年1月にラドミール・アンティッチ監督へ交代、シーズン終了まで指揮を執ったが6位がやっとだった。これでガスパール会長は3シーズン無冠ということになり、辞任に追い込まれた。21世紀は、前途多難を思わせるスタートだった。20年もヌニェス会長に仕えたガスパール会長には気の毒な結果だが、この3シーズンはバルセロナの迷走期として記憶されている。

(文:西部謙司)

【了】

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