06年、大黒将志。最高に笑った最後の言葉とは? 『日本人最高のストライカー』を変えた一戦【リーグ・アン日本人選手の記憶(3)】

日本人選手の欧州クラブへの移籍は通過儀礼とも言える。これまでにもセリエA、ブンデスリーガなどに多くのサムライが挑戦したが、自身の成長を求め新天地にフランスを選ぶ者も少なくはない。現在も酒井宏樹や川島永嗣がリーグ・アンで奮闘中だ。今回フットボールチャンネルでは、そんなフランスでプレーした日本人選手の挑戦を振り返る。第3回はFW大黒将志。(取材・文:小川由紀子【フランス】)

2020年04月10日(Fri)10時00分配信

シリーズ:リーグ・アン日本人選手の記憶
text by 小川由紀子 photo Getty Images
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ゴール以外は「考えていない」

大黒将志
【写真:Getty Images】

 2005年2月に行われたドイツワールドカップのアジア最終予選、北朝鮮戦でロスタイムに決勝点を決め、勝利の神様『ダイコク様』と崇められていた大黒将志。その大黒が2006年冬、故郷のクラブ、ガンバ大阪から移籍したのがフランス2部リーグ(リーグ2)のグルノーブル・フットだった。

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 グルノーブル・フットはフランスが誇る名アタッカー、ユーリ・ジョルカエフを輩出し、現代表のオリビエ・ジルーもこのクラブの育成所出身。ジルーはちょうど大黒がいた2006年3月にデビューし、2人はいっとき共にプレーしている。

 2004年10月に日本のインデックス社がオーナーとなったが、日本人オーナー=日本人選手、という短絡的なリクルートは好まず、チーム構想にあった選手をじっくり検討した上で獲得したのが大黒だった。

 大黒がまず、フランスに与えた印象は、『ゴールマシン』。彼の目にはゴールマウスしか見えてないのかと思うくらい、彼の口から出るのは「点を入れたい」「ゴールを決める」と、ゴールのことだけ。フランスサッカーの印象はどうとか、スタジアムの雰囲気がどうだ、といった周辺的な質問はあっさりとかわし、自分の仕事はあくまでも試合でゴールをあげることで、どんな環境だろうとどんな場所だろうとそれは変わらない、と一貫していた。

 入団会見での質疑応答は、まさしくそんな彼の真骨頂。

―周囲の期待にこたえるには?
「点を入れて、それによってクラブが昇格できればいい」

―では、点を取ること以外に向上したい点は?
「点をどんどん入れるということは、(チームのプレーの仕方に)慣れているということ。だから、一点ずつ入れていきたい」
 
 終いには、「ここにはサッカーをやりにきたので、他のことはあまり考えてない」と言い放ち、会見場から練習場に飛び出して、黙々とランニングを始めたのだった。

好待遇にも心は乱れない

 当時はいまほど日本人選手の海外移籍はメジャーではなく、なおかつ今よりはるかに取材費が豊富な時代だったから、大黒のもとには30人もの日本人報道陣が集まり、現地メディアも『日本人オーナーのクラブに来た日本人最高のストライカー』と大黒を大々的に紹介した。

 その過熱ぶりは、プレッシャーがかかりはしないだろうか? と心配になるほどだったが、それはすぐに杞憂に終わった。周囲の熱狂にも「特別扱い」ととられ兼ねない待遇にも、まったく心を乱されることなく、「いかにこのチームで自分がゴールをあげるか?」ということただひとつに、大黒は全神経を集中していたからだ。

 足首を痛めていたため、入団後すぐには全体練習に参加できなかったが、「足首は慎重に治したいけれど、できるだけ早く試合に出たい。痛みはないし、明日試合、と言われてもやれる」とやる気をみなぎらせ、実際に入団会見から4日後のアウェイのラヴァル戦の後半20分、大黒はフランスリーグの地を踏んだ。

 チームメイトと一緒に全体練習をこなしたのは前日の1回だけというほぼぶっつけ本番状態だったが、「いやあ、練習の終わりに突然監督に言われまして。あわてて追加でシュート練習させてもらいました。でも、早く出たかったんで」。デビュー戦の感想をそう話すと、見るからにうれしそうな笑顔で、「明日に備えて早よ寝な」と言いながらチームバスに乗り込んだ。

 初陣となったその試合では、大黒はケガの影響を微塵も感じさせずにエネルギッシュに動き回り、ディフェンダーの裏に回りこむ得意のプレーも見せた。が、いかんせん、ボールが回ってこない。マークを外してフリーになっても、大きく右手をあげてボールを呼んでも、他の選手には彼が見えていないのかというくらいボールが来ない。

 ボールが渡っていれば絶好のチャンスになったであろう場面もあったが、チームメイトにもまだどんな動きをするのかわからない選手にはボールは出せない、という迷いが見られた。

大黒を変えた一戦

アンドリュー・シェフチェンコ
大黒は2005/06シーズンのCL・リヨン対ミランを現地観戦。シェフチェンコらのプレーから多くを学んだようだ【写真:Getty Images】

 デビュー戦から3戦目のセート戦で初ゴールをマークしたが、その後試合数を重ねても、大黒が欲しいタイミングでパスをもらえる機会は多くはなかった。大黒にとっても、誰にボールが行ったときに自分は動けばいいのか、しかも相手が見ているときに動き出す必要があり、そのタイミングを計るのも難しかった。

 迷いが生じかけていた大黒が、「自分のプレーを貫けばいい」とあらためて確信したのは、2005/06シーズンのチャンピオンズリーグ(CL)・リヨン対ミランを現地で生観戦したことだった。目標とするストライカーの一人だったアンドリュー・シェフチェンコのナイスプレーに、リヨンサポーター席ながら思わず何度も立ち上がった。

「ボクみたいな動きをする人はリーグ2にはいないけれど、イタリア人のFWは同じような動きをやっていた。もちろん向こうのほうがレベルは上ですけど、ボクは『自分のやってることは間違いじゃない。ボクはやり続けるべきだ』とすごく思いました。

そういった意味で、リヨン対ミラン戦を観に行ったことはすごく意味があった。もしかして無駄走りしてんのかな、と思ったりすることもあったけれど、どこにいても自分のプレーをやるべきなんやと、この試合を観て思いましたね」。

 3月途中には、入団時の指揮官だったティエリー・グーデ監督が突然辞任したが、直後のバスティア戦でハットトリックを決め、環境の変化にも動じない勝負強さを発揮。デビュー戦以降、最終戦まで全試合に出場し5得点をマークして、大黒は海外移籍初シーズンを終えた。

わずか半年で退団も…

 グルノーブルでの初年度の収穫は、「どこへ行っても適応する、適応能力は上がった」と大黒は話したが、その一方で自分が貫きたいプレーへの手応えも得ていた。

「(フィジカルの厳しいフランスリーグでも)ディフェンダーを背負ってそこで戦って、というのは自分のプレーではない。全部が全部変える必要はないと思っていたし、ボクにはボクのプレーがある。それをやってみて、ここでもできるってことがよくわかったし、パスさえ来れば(ゴールを)入れられるのもわかった。速くて強いところでやって、ごっつぅ削られてケガしたわけでもない」。

 翌シーズン、開幕戦のモンペリエ戦でさっそくゴールを決めたあと、第2節まで終えたところでセリエAのトリノに移籍したが、約半年という短い期間ながら、大黒のフランスリーグ挑戦は充実したものだった気がする。

 グルノーブルには、愛犬ラオウも連れてきていて、「イヌの散歩とか行ってて、知らないおっちゃんとかとイヌのことでしゃべって、『何歳や?』とか、『どこに住んでんねん?』とか、そういうちょっとの会話はできたりするから、(フランス語は)最初のころよりは成長してると思います」とプライベートもなかなかに楽しんでいる様子だった。

 最後に、最高に笑わせてもらったコメントをご紹介。フランスでなにか楽しみを見つけましたか?と聞いたときの答えがこれ。

「フランスはね、炭酸水が安いから、ペリエとかサンペリグリだとか、炭酸水をカルピスで割って、『自分でカルピスソーダができるやん!』って。最近の楽しみは、風呂上りにカルピスソーダを飲むこと!」。

 いつまでも彼らしく、サッカーを続けて欲しい。

(取材・文:小川由紀子【フランス】)

【了】

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