07年、伊藤翔。アーセナル移籍の夢はなぜ失敗したのか。名将が認めた「和製アンリ」の苦悩【リーグ・アン日本人選手の記憶(4)】

日本人選手の欧州クラブへの移籍は通過儀礼とも言える。これまでにもセリエA、ブンデスリーガなどに多くのサムライが挑戦したが、自身の成長を求め新天地にフランスを選ぶ者も少なくはない。現在も酒井宏樹や川島永嗣がリーグ・アンで奮闘中だ。今回フットボールチャンネルでは、そんなフランスでプレーした日本人選手の挑戦を振り返る。第4回はFW伊藤翔。(取材・文:小川由紀子【フランス】)

2020年04月17日(Fri)10時00分配信

シリーズ:リーグ・アン日本人選手の記憶
text by 小川由紀子 photo Yukiko Ogawa
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アーセナル入団を見据えての獲得

伊藤翔
グルノーブル・フット38に加入した伊藤翔。写真右は当時の指揮官であったイヴォン・プリカン【写真:小川由紀子】

 1992年にJリーグが設立されて以降初めて、国内クラブでプレーすることなく海外移籍を実現したことで、当時大きな話題となった伊藤翔。彼は18歳だった2007年1月、愛知県の中京大中京高校から、フランス2部リーグ(リーグ2)のグルノーブル・フット38に移籍した。

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 前年、アーセナルでテストを受けてアーセン・ベンゲル監督から「ティエリ・アンリを彷彿とさせる」とお墨付きをもらったことで、伊藤翔には以来『和製アンリ』なる称号がついてまわることになった。実際、アーセナルは獲得に動いたが「自国のA代表で一定数以上のプレー経験」を労働許可の必須条件とするプレミアリーグは特例を許さず、このタイミングでの移籍は叶わなかった。

 グルノーブルのオファーは、将来的にはアーセナル入団が実現する可能性も見据えたものだった。ゼネラルマネジャーを務めていた田部和良氏は「若いうちに海外に飛び出してもまれたほうがいい。アーセナルとも話をしている。彼の将来を長期的に考えれば、ウチでならしてからアーセナルへ、というのは、本人にとっても理想的なはず」と、意図を語っていた。

 伊藤には横浜F・マリノスや2006年のJ1チャンピオンである浦和レッズからも打診があったと言われたが、その中で伊藤はグルノーブルを選んだ。

 1月11日、クラブハウスで行われたお披露目会見で「ショウと呼んでください。早く活躍しているところを見せたいです!」と元気いっぱいに語った彼は、スーツ姿にネクタイ、という正装だったが、まるで高校の制服姿のようなフレッシュさがあふれ出ていたのを覚えている。

 入団会見の数日後に行われたスイス2部リーグのイベルドンとの練習試合が、初の実戦の場となった。後半の30分間プレーし、さっそくシュートを放つなど積極的なプレーでアピールした伊藤に、イヴォン・プリカン監督も「動きがいいし存在感もある」と手応えを得た様子だった。

出場機会は増えず

 2月に入って選手登録が完了すると、まずはリザーブ戦で公式戦先発出場。そして9日、ホームで行われた第24節アミアン戦でリーグ2デビューを飾った。

 0-1と1点を追う状況で、後半34分に投入された伊藤はゴール前で積極的に動いたが得点には結ばず。「もっとコミュニケーションをとってスルーパスの連係をよくしたい」とフランス語の上達を課題に挙げると同時に同点打をあげられなかったことを悔やんだ。

 ここから出場機会を重ねていくものかと思われたが、その試合のあとはベンチ入りすることはあっても出番はなく、リザーブチームの試合やユース世代のフランスカップに出場しながら実戦に慣らす日々が続いた。

 そして5月上旬、右もも裏の肉離れを起こすと、そのままシーズン初年度を終えた。リザーブチームではハットトリックを達成するなどゴールもあげていたが、『前線でのスピードはあるが、ボールのもらい方、フィジカル面にはまだ課題を残す』というのが現地での評価だった。

 翌シーズンは、監督がボスニア人のメフメド・バスダレビッチに交代。前任者のプリカンは「スペクタクルなサッカー」を信条とし、「試合に勝っても、納得のいく内容でなければ良しとしない。たとえ相手がバルサであろうと、受け身にならず、自分たちらしい攻撃的サッカーにこだわる」ことを公言しているような指揮官だったが、バズダレビッチ監督は結果重視の慎重派。リーグ・アン昇格を現実的に見据えた人事だった。

 プレシーズン中は、練習試合で伊藤を2列目で試すなど「トップだけではなくほかのポジションでもやらせる」と話していた新指揮官は若い伊藤に対し、「いろいろな可能性を引き出したい」という構想を持っていた。

 伊藤自身も「今シーズンは試合に出ること」を目標に掲げ、監督の期待に応えるべく毎日汗を流していた。

訪れない出番。それでも…

 当時のグルノーブルでは、33歳のアルジェリア人ストライカーであるナシーム・アクルーが攻撃のキーパーソンで、パリ・サンジェルマン(PSG)のアカデミー出身でフランスU-21代表のフランク・ジャジェジェ、その後バレンシアに引き抜かれたアルジェリア代表のソフィアン・フェグーリら、成長株の若手もいた。

 その中で4番手あたりの位置にいた伊藤は、開幕後はベンチ入りすら叶わない日々が続いたが、リザーブ戦では1試合で4得点を挙げるなど得点力は1年目より目に見えて向上していた。

 ようやく第10節のリブルヌ戦で、2-1とリードしていた試合の88分、ジャジェジェと交代してピッチに上がったが、その後は11月のフランスカップ戦で先発出場したのを最後に、リーグ・アン昇格を決めたあとの最終節まで出番はなかった。

 このシーズンは、前半は一時首位に立つなど昇格圏内をキープしていたものの、後半戦になって5~7位をうろつく微妙な状況となったため、監督としても若い新人を試す余裕はなく、ある程度計算が立つ古参のメンバーに固定した、という事情もあった。

 その状況の中、ジェフユナイテッド千葉が獲得に興味を示しているとも伝えられたが、伊藤本人は試合に出られないながらも着実に成長を感じていた様子で、「リーグ・アンは魅力的なので、やるつもり満々です!」と、翌シーズンへの期待に目を輝かせていた。

 この頃には、入団会見のときからは想像つかないほど体もたくましくなっていて、胸筋もみちがえるほど厚みを増していた。彼の言葉どおり、試合には出ていなくても、着実に成長を遂げていた。

怪我に泣かされチームも降格

 ところが、45年ぶりにリーグ・アンの一員となった2008/09シーズン、伊藤翔の姿はベンチですら見られることがなかった。長期的な怪我に見舞われ、シーズンを通してほとんどプレーできる状態になかったのだ。

 グルノーブルは13位でシーズンを終え、翌2009/10シーズンもリーグ・アンに参戦したが、開幕を迎えても伊藤のコンディションはまだメンバー入りできるまでには戻っていなかった。その間クラブは、開幕から12連敗して第4節終了時点で最下位に転落。その後そこから一歩も動くことなく第32節で早々に降格決定、という不遇の年を送ることになった。

 降格の第一の要因は、怪我人が続出したこと。すでにバレンシア行きが決まっていたフェグーリも負傷でほぼ1年間欠場。加入したばかりの松井大輔も開幕戦で足を痛め、完全復帰した頃にはすでに9連敗中だった。冬の移籍市場でバズダレビッチ監督は各ポジションに一人ずつ補強したいと訴えたが、ワンティエスGMは、降格した場合に備え「リスクは避けたい」と新戦力獲得に消極的だった。

 そんな状況でも、監督がやる気満々の若手を使って活性化、というような策を使わないのは、見ていて疑問だった。熟練プレーヤーがどんなにダレていても、怪我や出場停止以外では彼らを外そうとはしなかった。

 早くから降格が決定的でやる気を失っていたのか、練習ですらFW陣は全くシュートが入らない。単に下手というより、真剣さが欠けているように見えた。それでもバズダレビッチ監督は何も言わずにスルーしている。そんな時こそ、やる気に満ち溢れた若手がカンフル剤になるかもしれないのに、と、もどかしい思いをしたものだった。

伊藤の精神力から滲み出る充実感

伊藤翔
グルノーブルでは出場機会に恵まれなかった伊藤。しかし、充実した日々は送れていたのではないだろうか【写真:小川由紀子】

 結局この2008/09シーズンも、伊藤の出番はリーグ閉幕間際の第36節、後半70分からの出場1回に終わった。グルノーブルで過ごした3シーズン半の在籍期間中、トップチームでのリーグ戦出場は5回、0ゴール。ピッチに立った時間は、フル出場1試合分にも満たなかった。

 ただ、彼自身は充実していたのではないかと思う。それは単なる推測ではなく、本人に会うたびに感じたことだ。

 周囲は「出場機会があるところにレンタル移籍してアピールしたほうがいい」と誰もが思っていた。実際、千葉や欧州のクラブからも打診はあった。

 しかし本人は、グルノーブルでやり続けることを選んだ。リザーブチームで得点を重ねていた2年目は「トップチームでもやれるところを見せたい」というジレンマを感じたこともあったようだったが、それでも彼はいつでも明るく、気持ちがいいほどはつらつとしていた。

 元来のポジティブな性格、そして、簡単にはへこたれない強靭な精神力のたまものだろうが、置かれた現状の中で、彼なりに得るものがあったからだと思う。それはピッチの外でも同じで、初の海外生活で苦労もあったはずだが、「フランスじゃインターネットがつながるまで3ヶ月もかかるなんて、驚きましたよ~」とケラケラ笑っていた様子は実に頼もしかった。

 ティーンエイジャーから成人への過渡期、グルノーブルで過ごした日々は、彼の人生にとってかけがえのない時間となったことだろう。

(取材・文:小川由紀子【フランス】)

【了】

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