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リバプール、史上最高の奇跡はどのように実現したのか? 勝負を分けたキャラガーの提案【リバプールの20年史(2)】

18度のリーグ優勝を誇るリバプールは、1989/90シーズンを最後にリーグ優勝から遠ざかっている。80年代にサッカー史に残る2つの悲劇を目の当たりにしたリバプールはその後、どのような道のりを歩んできたのか。リバプールの現代史を複数回に渡って辿っていきたい。(文:西部謙司)

シリーズ:リバプールの20年史 text by 西部謙司 photo by Getty Images

ウリエからベニテスへ

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【写真:Getty Images】

 リーグカップ、FAカップ、UEFAカップのトレブルを成し遂げたリバプールは、続く01/02シーズンでリーグ2位につけた。いよいよ頂点まであと一歩というところまで来たのだが、ここで思わぬ事態に見舞われる。ジェラール・ウリエ監督が心臓の手術を受けることになったのだ。ウリエ監督はその後復帰を果たしたが、02/03はリーグカップ優勝があったもののプレミアリーグは5位に後退。03/04はUEFAチャンピオンズリーグ(CL)出場権内の4位にはとどまったが無冠に終わりウリエ監督が退陣、ラファエル・ベニテス監督が就任することになった。

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 04/05シーズン前、マイケル・オーウェンがレアル・マドリードへ移籍している。エースを失ったのは痛手だったが、ベニテス監督はルイス・ガルシア、シャビ・アロンソのスペイン人選手を補強して陣容を整えた。

 ベニテスはリバプールに来る前に率いていたバレンシアで、3シーズンで2回のリーグ優勝をもたらしていた気鋭の監督だった。監督のキャリアを始めた当初は全く勝てず、カスティージャ(レアル・マドリーのBチーム)、バジャドリード、オサスナと解任され続けたが、エストレマドゥーラとテネリフェを2部から1部へ昇格させ、バレンシアで大きな成功を収めた。

 カッチリとした4-4-2の使い手なので、プレミアリーグとの相性も悪くない。ただ、ベニテスは戦術が先にあって選手を当てはめていくタイプなので、補強がカギを握っていた。その点で、ルイス・ガルシアとシャビ・アロンソの獲得は同じスペイン人ということもあり、的確な補強だったといえる。

 ところが、リーグはCL出場圏外の5位、FAカップは早々に敗退、リーグカップは決勝まで進んだがチェルシーに敗れた。このままならかなり不本意なシーズンだったはずだが、最後にCL優勝という思いがけない大勝利が転がり込んでいる。それは「イスタンブールの奇跡」と呼ばれた、まさに奇跡的な決勝だった。

6分間で3ゴール

 CL決勝の舞台はトルコの首都イスタンブールのアタトゥルク・オリンピアヤット・スタディ。相手はACミランだった。

 このときのミランはパオロ・マルディーニ、アンドレア・ピルロ、アンドリィ・シェフチェンコ、カカといった充実したメンバーを揃え、力をみせつけて決勝まで進んできた。下馬評ではミラン優位である。リバプール、ミランともに赤がチームカラーのため、スタジアムは真っ赤に染まり、どちらのサポーターがどれぐらい多いのかよくわからなかった。

 ミランはわずか1分でマルディニが先制。さらにエルナン・クレスポに2ゴールが生まれ、3-0でハーフタイムを迎えた。これで試合は終わったも同然と思った人は多かったはずだ。おそらくミランも勝ったような気分だったのかもしれない。そうでないと説明のつきにくいことが後半に起こった。

 54分、ヨン・アルネ・リーセのクロスをスティーブン・ジェラードが合わせて1点を返す。闘将ジェラードが全軍を鼓舞すると、2分後に交代出場のヴラディミール・スミチェルがミドルを決めて2-3と1点差に詰める。さらに60分にPKを得て、シャビ・アロンソが蹴る。いったんはGKジダに阻まれるも自らこぼれ球を押し込んで3-3。何とわずか6分間で3-3と試合を振り出しに戻してしまった。

 このとき、スタジアムを埋めた大観衆の多数派がリバプールファンだと判明した。イングランドのサポーター、とくにリバプールはアウェイでも多くの人々が大挙して応援に駆けつける。それが問題を引き起こすこともあったが、選手にとっては何とも心強い。ホームのアンフィールドは特別な場所で「ライオンの巣穴」ともいわれる迫力満点の後押しがある。この決勝はアンフィールドではないが、奇跡的な同点劇にスタジアムの雰囲気はアンフィールドと化していた。

キャラガーの提案

 後半からベニテス監督4バックから3バックへの変更を行っている。ただ、3バックはシーズン中に一度も使ったことがないフォーメーションだった。本来、ベニテスは采配に柔軟性があるタイプではないのだが、前半で0-3だったので賭けに出るしかなかったわけだ。そして、この指揮官に似合わないギャンブルは吉と出た。

 しかし、6分間にすべてを出し尽くしてしまったのか、もはやリバプールには逆転する力はなく、延長に入ってもミランの猛攻を防ぐのが精一杯。120分の死闘は3-3のままPK戦に突入した。

 1983/84シーズンのチャンピオンズカップで優勝したときもPK戦だった。そのときのGKブルース・グロベラーは伝説的な「スパゲッティ・ダンス」でヒーローとなっている。イスタンブールでのPK戦の直前に、ジェイミー・キャラガーはGKイェジー・ドゥデクに「スパゲッティ・ダンス」を提案したという。両足と体をくねらせる不思議な動き。ドゥデクのダンスはグロベラーほど気味の悪さはなかったが、それでも2本のPKを止め、1本を外させた。PK戦は3-2、リバプールの奇跡の夜だった。

(文:西部謙司)

【了】

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