ACミランの画期的な戦術をカバーした男とは? サッキからカペッロへ、黄金時代はいかにして築かれたのか【ACミランの黄金期(3)】

ACミランが今季は好調だ。120年以上の歴史を持ち、18度のセリエA優勝と7度の欧州制覇を誇るミランには、隆盛を極めた時代が何度もあった。ミランの黄金期を時代ごとに紹介する本連載の第3回は、画期的な戦術を導入したアリゴ・サッキ監督が指揮を執った1980年代後半から、ファビオ・カペッロ監督が「グランデ・ミラン」と呼ばれた黄金時代を築き上げた90年代にフォーカスする。(文:西部謙司)

2021年01月15日(Fri)10時00分配信

シリーズ:ACミランの黄金期
text by 西部謙司 photo Getty Images
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リスキーな新戦術を補完する男

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【写真:Getty Images】

 プレッシング戦法で戦術史のパラダイム・シフトを起こしたアリゴ・サッキ監督は、チャンピオンズカップ連覇をもたらしたものの、セリエAでは1回しか優勝していない。従来とはけた違いのインテンシティはミランの特徴だったが、それが自らを壊してしまったかもしれない。

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 サッキが導入した戦術は、ラインコントロールで4バックをハーフウェイライン近くにキープし、コンパクトな陣形でプレッシャーをかけ続ける。そのため1本のパスで裏をつかれる危険は常にあった。フランコ・バレージの卓越した読みでスペースをカバーしていたが、リスキーな守り方ではあった。

 新戦術の導入時、サッキ監督はバレージを「劣等生だった」と言っている。パオロ・マルディニやビリー・コスタクルタのような若手と違って、従来とは全く違うやり方に戸惑いがあったようだ。相手をマークするのではなく、ボールの状態によってラインを細かく上げ下げするのはイタリアの伝統とは真逆だったからだろう。しかし、新戦術を飲み込んだ後はバレージが戦術を補完する形になった。

サッキ時代の終焉

 機械的なラインコントロールだけでは漏れてしまうケースを、バレージの鋭敏な危機察知能力と猟犬のようなスピードがカバーした。CBのカバーエリアは隣のCBまたはSBまでだが、左CBのバレージは2つとばして右SBのカバーに回ることもあり、危ないときにはサッキの枠組みから外れてピンチを救っていた。

 中盤のプレッシングが破られたときは、DFが横一列のまま後退してプレスバックを待つ。プレスが外されたときのスクランブル状態でもマニュアルが決まっていた。ただ、たいていプレスバックは間に合わず、誰かがボールホルダーに向かってラインから飛び出し、他のDFがそれに合わせて中央に絞りながらラインを止めるのが最終手段だった。

 そのとき、ラインから飛び出すのはいつもバレージ。ファースト・ペンギンで、最初に飛び立つ鳩である。いっせいに動くように見えるミランのディフェンスラインだったが、「いつ」を決めていたのはバレージであり、マニュアルでは網羅できないタイミングのセンスでサッキの戦術を成立させていた。

 マルコ・ファン・バステンとルート・フリットの個人技と得点力も不可欠だった。ただ、2トップに課される守備のタスクは従来よりも明らかに重く、ファン・バステンはやがてサッキ監督と対立するようになる。他の選手たちもマニアックなサッキの手法についていけなくなっていた。サッキ監督はセリエAの1シーズンを「水の中で息を止めて潜っているようなもの」と表現したが、そのための疲弊は避けられなかった。

セリエA3連覇と3年連続CL決勝進出

 1991/92シーズン、サッキがイタリア代表監督に就任するとファビオ・カペッロが新監督となった。カペッロはサッキの前任者で、ニリス・リードホルムの後のケア・テイカー(暫定監督)として指揮を執っている。サッキ時代はフロント業務を行っていたが、今度はサッキの後任となったわけだ。カペッロ監督は前任者以上の戦績をあげ、「グランデ・ミラン」と呼ばれた黄金時代を築いている。

 戦術的にはサッキ時代を受け継いでいるが、一部を緩和した。過激なラインコントロールとプレッシングを少し緩めている。常に尖鋭的であろうとした前任者と違い、選手のコンディションとストレスを考慮して、息をつかせたわけだ。プロ選手の経験のないサッキと違い、カペッロはイタリア代表のMFでもあった。現実的な緩和策によって疲弊した選手たちを蘇らせている。

 最初のシーズンはセリエA史上初の無敗優勝。そこから3年連続優勝を成し遂げた。サッキ時代のメンバーにディミトリオ・アルベルティーニを加え、安定した強さを示した。

 UEFAチャンピオンズリーグ(CL)も92/93から3シーズン連続で決勝進出。優勝は93/94の1回だけだが、「ドリームチーム」と呼ばれたバルセロナを4-0で粉砕したファイナルは大会史上に残る大勝利だった。ちなみにこの勝利はシルビオ・ベルルスコーニ会長が政権を樹立したタイミングと重なり、祝賀ムード一色に包まれた。

 すでにフリットはミランを去り、ファン・バステンは怪我が治らずに引退。デヤン・サビチェビッチとダニエレ・マッサーロがバルセロナ戦の2トップだ。MFにズボニミール・ボバン、マルセル・デサイーが加わっている。デサイーの運動量と守備力は優勝の原動力だった。

 94/95もミランは決勝へ進むが、元ミランのフランク・ライカールトがプレーするアヤックスに敗れている。このシーズンはセリエAも優勝を逃した。しかし95/96はセリエAを奪回。ロベルト・バッジョ、ジョージ・ウェア、マルコ・シモーネが活躍している。

 このシーズンでカペッロ監督はミランを去り、レアル・マドリードの監督に就任する。その後、カペッロは97/98にミランへ戻ってくるが成果はあげられていない。カペッロの前に二度目の監督就任となったサッキも落ち込みに歯止めをかけられなかった。グランデ・ミランの時期はすでに終わっていたのだ。

(文:西部謙司)

【了】

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