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ラ・リーガの消えた逸材たち。天国から地獄へ…才能を開花させられなかった5人の選手

シリーズ:編集部フォーカス text by 編集部 photo by Getty Images

ベネズエラ生まれのカンテラーノ

ジェフレン・スアレス
【写真:Getty Images】



ジェフレン・スアレス(元ベネズエラ代表)

生年月日:1988年1月20日
現所属クラブ:ラムプーン・ウォリアーFC(タイ2部)

 ベネズエラで生まれ、両親とともに2歳でスペインの離島・テネリフェへ移住。2004年にバルセロナの下部組織に加入し、1年でフベニールB(U-18)からCチームへと駆け上がった。そして2006/07シーズンのコパ・デル・レイでトップチームデビューを飾る。この時ジェフレンは18歳だった。

 その後はなかなか出番を与えられなかったが、2008/09シーズンの終盤戦にリーグ戦デビュー、2009/10シーズン途中に正式にトップチーム昇格も果たした。同シーズンはリーグ戦12試合に出場し、以降も貴重な攻撃の駒としてバルセロナに貢献していくものと思われていた。

 しかし、背番号を11に変更して臨んだ2010/11シーズンは出場機会が減り、2011年夏にポルトガル1部のスポルティングCPに放出される。この移籍が苦難の幕開けだった。在籍2シーズンで定位置をつかめず、2013/14シーズンにスペインへ戻ってバジャドリーに加入するもチームは2部降格の憂き目に。

 2015年夏にはベルギーへ渡り2部のオイペンと契約するも、1部昇格を果たしたチームで大きなインパクトを残せず2017年夏に退団。次なる活躍の場をスイスに求め、同国1部のグラスホッパーに移籍する。

 スイスで1年半プレーしたものの、最後の半年間は出番に恵まれず2019年1月に移籍したのはキプロスだった。しかし、AELラルナカに所属したのもわずかに半年。昨年夏には無所属となり半年間の浪人期間も経験し、現在はタイのラムプーン・ウォリアーFC所属となっている。

 ジェフレンはなぜバルセロナの外で輝けなかったのか。その要因についてスペイン紙『マルカ』のインタビューの中で「世界最高のクラブを去ると、フットボールの現実に直面する。あそこでは全てを手にできるが、そこを去れば全てが変わる。バルセロナでは1タッチや2タッチを多用する習慣があるが、他では違った。よりフィジカル面が重視され、ロングボールも増える。自分のプレースタイルと考え方を変えなければならなかった」とバルセロナ出身選手の誰もがぶち当たる壁の存在について言及していた。

 独特のスタイルを持つクラブから巣立った選手にもトップレベルで成功した者はいるが、そうでない者もいる。ジェフレンはある意味でバルセロナの“呪縛”から逃れられず、転落していった象徴的な例と言えるだろう。

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