クラブ史に燦然と輝く黄金時代があった
噂された、クラブのレジェンドの一人で、元イタリア代表監督のマンチーニの組閣入りは実現しなかったものの、息子のアンドレアが、スポーツディレクターに就任。さらに、現役時代にも、指導者としてもマンチーニを支えた、アッティリオ・ロンバルドを助監督に任命している。テクニカルスタッフには“チーム・サンプドリア”を採用し、残留を目指すこととなった。
大航海時代に海洋国家として名を馳せたジェノヴァを本拠地とするサンプドリアは、1946年の創設だ。2026年には80周年を迎えるが、イタリアにおいては、比較的“新しい”クラブといえる。1893年に誕生し、イタリアで最長の132年の歴史を誇る宿敵ジェノアと比べれば、その“若さ”は際立つ。
だが、サンプドリアは2つのクラブが統合したクラブだ。サンピエルダレネーゼとアンドレア・ドーリアが合併して生まれたもので、クラブ名は双方に由来する。前者は同名の町の名を冠して1899年に、後者はジェノヴァ出身でルネサンス期に功績を挙げた同じ名の軍人にちなみ、1900年に創設された。クラブのルーツを辿れば、100年以上の歴史を持つクラブであることが見て取れる。
クラブに黄金期が到来するのは、1979年のパオロ・マントヴァーニの会長就任を待たなければならない。当初はセリエBを戦いの舞台としていたが、ゆっくりとチームは力をつけていく。エウジェニオ・ベルセッリーニが指揮した84/85シーズンは、セリエAで4位に入り、初のコッパ・イタリアを制覇。さらに、レアル・マドリードなどを歴任した名将ヴヤディン・ボシュコヴを1986年に指揮官を招き入れた。
鉄壁の守備職人ピエトロ・ヴィエルコウッド、守護神ジャンルカ・パリュウカ、10番のマンチーニ、そして、2023年に他界したジャンルカ・ヴィアッリらを擁し、“サンプドーロ(黄金のサンプ)”と言われた一時代を築いた。コッパ・イタリアを2度制し、89/90シーズンには、カップ・ウィナーズ・カップで欧州のタイトルも獲得。そして、90/91シーズンには、スクデットをその手に収める。クラブ史に燦然と輝く、唯一のリーグタイトルだ。
その翌シーズンには、チャンピオンズカップ(現UEFAチャンピオンズリーグ)で、決勝進出を果たし、ヨハン・クライフが率いるバルセロナと対決。聖地ウェンブリーで行われた一戦は、延長戦までもつれ込む大接戦であったが、FKからロナルド・クーマンに一撃を叩き込まれ、0-1で敗北。惜しくも涙を呑んだが、欧州屈指の強豪を相手に善戦が光った試合だった。
しかし、夢のような時代は長くは続かなかった。