クエスタという男の歩み
候補として名前が挙がっていなかっただけでなく、その名自体が無名だった。カルロス・クエスタ。1995年7月29日、スペインのパルマ・デ・マヨルカ島の生まれだ。クラブ名と同じ“パルマ”と綴るが、クラブはParma、出生地の島は、ヤシの木に由来するPalmaであり、当然、関係性はない。
クエスタが現役生活に別れを告げたのは早かった。アマチュアリーグのクラブ・サンタ・カタリナ・アトレティコに所属していた18歳で、プレーヤーとしての終止符を打った。そして、指導者の道を歩むことを決断する。マドリードに移り、大学でスポーツ科学を専攻。プロ監督を志す。
在学中からクエスタは、レアル・マドリードやアトレティコ・マドリードのテクニカルスタッフに自ら連絡を取り、プロの世界に近づこうと試みる。返事はほとんど得られなかったものの、彼は諦めなかった。転機が訪れたのは19歳のときだった。アトレティコの下部組織でのチャンスがあることを知り、自らボランティアとして申し出たのだ。彼の意思は受け入れられ、ここから指導者としての真の冒険が始まる。
最初はU-14を指導し、すぐに上層部からの信頼を得て、ユース部門全体のマネージメントにも携わるようになった。2017年、クエスタは長い休暇を取る決断をする。ただしそれは“休養”ではなく、“研鑽”に充てられた時間で、ヨーロッパを巡り、最高の指導者たちを間近で観察するためのものだった。
マンチェスター・シティのジョゼップ・グアルディオラの仕事ぶりを視察する中で、当時、その助監督だったミケル・アルテタと出会う。3年後に、アーセナル指揮官にすでに就任していたアルテタによって、アシスタントコーチに大抜擢されることになるのだが、その前に2018年のエピソードに触れなければならない。