「ユーヴェに行きたかった」明かされた移籍未遂の真相
「ユーヴェに行きたかった。クラブ間で合意に達することがなく、ショックで、幹部と口論にもなった。あのタイミングで移籍することが正しかったと思っていたからだ。でも、その後は気持ちを切り替えて、サッスオーロのためにすべてを尽くすことにした」
2024年10月に『ガッゼッタ・デッロ・スポルト』紙のインタビューで、再びユーヴェ移籍に近づいていた舞台裏を赤裸々に語った。
さらにはこの時、こうも語っていた。
「今シーズン、サッスオーロで数カ月を過ごして、自分のコンディションが100%に戻っていれば、そして正しいオファーが届けば、1月に移籍するつもりだ。逆に、まだベストの状態でなければ、コンディションを取り戻すために6月まではここに残るだろう。これまで通り、クラブと一緒に判断していく」
周知のとおり、冬の移籍市場での移籍は実現せず。また、今夏には2027年6月30日までとなっていた契約が、2年間延長された。
実は、ベラルディの“ユーヴェ移籍未遂”は少年時代にもあった。本人が、2015年7月に同紙のインタビューで語っている。
「12歳のときに、ユーヴェの関係者が“ジュヴァニッシミ”の大会で視察に訪れた。すぐにでもトリノに私を連れて行くことを望んでいたが、断った。理由は家族や故郷を離れる覚悟ができていなかったからだ。トリノに行かなければならないと考えただけで、涙が出たのを覚えている」
移籍を志願したこともあったが、それは叶わず。これもまた運命の巡り合わせなのだろう。ベラルディとサッスオーロはまるで“見えない絆”で結ばれているかのようだ。
ユース時代を含めてサッスオーロでのキャリアは15年にも及ぶ。イタリアでは、もはや“絶滅危惧種”となったバンディエラである。
ただ、ミランのフランコ・バレージやパオロ・マルディーニ、ローマのフランチェスコ・トッティのように、一つのクラブでキャリアを終え、数々のタイトルを手にしたバンディエラたちとは異なり、彼はそうした栄光には恵まれていない。
だが、それでも彼らと同じように、クラブとティフォージに愛され、その愛に応え続けてきたことに違いはない。
(文:佐藤徳和)
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