99年、名波浩。日本最高のMFはなぜ失敗に終わったのか? “ゴミクズ”とまで揶揄された苦悩【セリエA日本人選手の記憶(3)】

日本人選手の欧州クラブへの移籍は通過儀礼とも言える。90年代、そのスタートとなったのがセリエAへの移籍だった。三浦知良や中田英寿など日本を代表する選手たちが数多くプレーしたイタリアの地。しかし、現在セリエAでプレーする日本人選手はゼロ。この機会にこれまでの日本人選手のセリエAでの挑戦を振り返る。第3回はMF名波浩。(取材・文:神尾光臣【イタリア】)

2019年04月23日(Tue)10時18分配信

シリーズ:セリエA日本人選手の記憶
text by 神尾光臣 photo Getty Images
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「商業的なオペレーションではない」

名波浩
ヴェネツィア時代の名波浩【写真:Getty Images】

 中田英寿がペルージャで大成功をおさめた1年後の1999年、別のセリエAクラブが日本人選手の獲得に名乗りを上げた。ヴェネツィアだ。ジュビロ磐田、そして当時の日本代表の主軸であった名波浩に、彼らは白羽の矢を立てた。

 ただご存知の通り、残念ながらその挑戦は成功裏に終わらなかった。イタリアのメディアの中には「ヴェネツィアの日本人旅行者を当て込んだビドーネ(ゴミクズ、転じて使えない人)」などと辛辣に書き立てるところもあった。

 セリエAで24試合、コッパ・イタリアでは7試合に出場し2ゴール。振り返ってみると、それなりに試合には出られているし、公式戦でゴールだって挙げている。もっともチームは降格し、プレゼンスが肝心な結果につながっていなかったというのもまた事実だ。

 期待感は高かった。Jリーグでは絶対的な実績を築き、日本代表でも中田と双肩をなす中盤の“司令塔”。ただそれをそのまま連れてきても、成功するとは限らない。1年目の外国人選手に厳しいセリエAの特質が現れた事象であったともいえる。

 当時のヴェネツィアは、戦力として名波がブレイクすることを真剣に期待した上で、獲得へと走っていた。

「これは別に、ヴェネツィアの旅行者を引き込みたいがための商業的なオペレーションではない。我われが名波を取ったのは、彼が日本で最も強力な選手だったからだ。ここでも主役となるだろう」

 こう言っていたのは当時のヴェネツィアの会長、マウリツィオ・ザンパリーニだ。のちにパレルモをヨーロッパリーグに進出する中堅へと育て、エディンソン・カバーニ(現パリ・サンジェルマン)やハビエル・パストーレ(現ローマ)、パウロ・ディバラ(現ユベントス)らの外国人タレントに活躍の場を与えたアバンギャルドな経営者である。

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