浦和レッズではFWとして勝負できず
「キックオフから先発の選手もベンチの選手も全員が一緒になって戦う、というところで、後先を考えずにすべての力を出し切る気持ちでいつも臨んできました。たとえ僕が潰れても交代でいい選手がたくさんいるし、今日は相手の強度の高さもあって本当にきつかったけど、前半で潰れるくらいの覚悟で頑張れました」
埼玉県さいたま市で生まれ育った高橋は埼玉栄高校から国士舘大学をへて、2020シーズンに当時J3を戦っていたロアッソ熊本へ加入。チームがJ2へ昇格した2022シーズンには14ゴールをあげる活躍を演じ、子どものころから応援してきた地元のクラブ、浦和からのオファーを手繰り寄せた。
しかし、憧れ続けてきた浦和でなかなか試合に絡めなかった高橋は出場11試合、プレータイムが414分にとどまったなかで、1ゴールを挙げただけで2023シーズンを終える。ほぼ初体験のサイドハーフで起用されるなど、主戦場と自負してきたフォワードで勝負できない状況は昨シーズンも変わらなかった。
開幕後の昨年3月には、J2を戦っていた横浜FCへ期限付き移籍。出場31試合で4ゴールを挙げたオフに復帰を果たしたが、浦和での状況はなかなか変わらない。前半戦は出場3試合で無得点。FIFAクラブワールドカップ2025でも出場機会を得られなかった高橋は、オファーを受けた清水への移籍を決めた。
「シーズン途中で浦和レッズを離れることになり、申し訳なく思っています。ただ、一人のサッカー選手としてもっと飛躍したいという気持ちがあり、悩んだ末の決断でした」
浦和の公式ホームページ上でファン・サポーターへこんな言葉を届けた高橋は、熊本時代から自信と実績を築きあげてきた1トップで勝負できない状況に抱き続けた忸怩たる思いを明かしている。