「洋太朗とアオを一緒にプレーさせたいと考えていた」
「(中島)洋太朗とアオ(青山)を一緒にプレーさせたいと考えていた」
広島ひと筋で21年間プレーしたバンディエラで、日本代表としてワールドカップ・ブラジル大会にも出場した青山氏と、クラブの将来を託されるホープの共演はリーグ戦では初めてだった。
しかも2009シーズンから5年間、広島でユーティリティープレイヤーとして活躍した父親の浩司氏も、青山氏と何度もプレーしていた。いまも「僕の試合は見てくれるし、何かあればアドバイスもくれます」という浩司氏が広島でつけた「35番」を、憧憬の思いとともに背負う中島は感無量の思いに駆られていた。
「僕が小さなころからずっと見てきたプロフェッショナルな選手で、父親とも一緒にプレーした青山選手と自分が一緒にプレーできたのは本当に感慨深かった」
魂の継承とともにユースを卒団し、さらなる飛躍が期待された今シーズンだったが、4月2日に暗転してしまう。70分から途中出場した鹿島アントラーズ戦で左膝を痛めた中島は、5分後にプレー続行が不可能となって退場。同9日には左膝外側半月板部分切除の手術を受けて、戦線離脱を余儀なくされた。
74分からの途中出場とともに、復帰を果たしたのは6月22日の横浜FCとのJ1第21節。その後も途中出場が多く続いたなかで、ここにきて公式戦で4戦連続で先発し、湘南戦を含めてそのうち3試合でフル出場。プレータイムの増加とともに「コンディション的にはあがってきましたけど」とこう続ける。