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コラム 3か月前

「カピターノにはふさわしくない」フロレンツィはなぜロマニスタから批判されたのか。人々を熱狂させた男が背負った重圧【コラム】

シリーズ:コラム text by 佐藤徳和 photo by Getty Images

「サッカーは“ただのゲーム”」

 フロレンツィは8月27日、インスタグラムにお別れのポストを投稿した。動画が撮影された場所は、2022年10月11日にローマ市内でひき逃げ事故により、命を奪われた当時18歳のフランチェスコ・ヴァルディセッリの名を冠した小さなグラウンドだ。

 遺伝病研究などを支援する『テレトン財団』のアンバサダーを務める彼らしい選択。子どもたちに混ざってサッカーを楽しむフロレンツィは、サッカーを純粋に愛する少年時代のままだった。

「楽しかった。本当に、最高だった。コンテナの裏にある小さなグラウンドから、オリンピコでのデビュー。“スカラ座(サン・シーロ)”からウェンブリーまで。おまえは僕にとって最大の挑戦で、限界を超えさせてくれた。困難を乗り越える力、意思の強さ、そして決して諦めない心を教えてくれた。

 想像もできなかったような喜びをくれた一方で、時々思い出させてくれるような痛みもあった。どれだけおまえが素晴らしい存在であると同時に、厳しいものかということを。僕は持っているすべてをおまえに捧げてきた」

「これからサッカーを仕事にしたいと思っている少年たちへ。ピッチに足を踏み入れるときには、心に留めていてほしい。結局のところ、サッカーは“ただのゲーム”なんだってことを。

 最後の試合だと思って、すべてを懸けてプレーしてほしい。そして、背中の名前のためじゃなく、胸のエンブレムのためにプレーしてほしい。名前はあとからついてくるものだから。すべてにありがとう、僕の友達。また会おう」

 現役選手としてのサッカー人生が終わり、これから第2のサッカー人生が始まろうとしている。

(文:佐藤徳和)

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【了】

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