フットボールチャンネル

Jリーグ 3か月前

怪我さえなければ…。日本の「ガラスの天才」5人。「もっとできた」と思いたくなる才能たち

シリーズ:編集部フォーカス text by 編集部 photo by Getty Images

 若くして評価され、「天才」と称される選手たちがいる。しかし彼らがそのままスター選手として活躍し続ける保証はない。怪我やプレッシャーに苦しみ、コンディションを落としていく者もいる。今回は大きな期待を背負いながらも才能を発揮しきれなかった日本人選手を紹介する。※成績は『transfermarkt』を参照。[5/5ページ]

FW:田中達也

浦和在籍時の田中達也(1982年生)
【写真:Getty Images】

生年月日:1982年11月27日
主な在籍クラブ:浦和レッズ、アルビレックス新潟

 田中達也は、サッカー日本代表として19試合に出場した実績を持つFWだ。もしケガがなければ、その数字はもっと伸びていたかもしれない。

 田中はサッカーの名門・帝京高等学校で活躍して名をあげ、2001年に浦和レッズでプロキャリアをスタートさせた。

 爆発的なスピードと高い技術、さらに抜群の決定力を兼ね備えるそのプレーは、元イングランド代表FWマイケル・オーウェンのニックネームから「ワンダーボーイ」と称され、1年目からコンスタントに出場した。

 2003、2004シーズンは、2年連続でリーグ戦2桁ゴールを達成。当時の2トップのパートナーであるエメルソンとのコンビは圧巻で、浦和史上でも屈指の破壊力を誇った。

 2003年にはヤマザキナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)優勝にも貢献し、大会MVPとニューヒーロー賞をダブル受賞した。

 そんな田中のキャリアの大きな転換期となったのは、2005年10月のことだった。

 リーグ戦で相手選手のタックルを受け、右足首脱臼骨折の重傷を負い、翌年の2006 FIFAワールドカップ(W杯)ドイツ大会出場の望みも断たれた。

 その後、浦和での復帰を果たし、J1優勝やAFCチャンピオンズリーグ(ACL)制覇にも貢献したが、年間を通しての活躍は難しく、2012年には戦力外通告を受けて退団となる。

 翌年からアルビレックス新潟でプレーし、2021年までプレーしたものの、9シーズンの在籍でリーグ戦のゴールは13にとどまり、全盛期の輝きを取り戻すことはなかった。

【関連記事】
禁断の後出し!? J1リーグ順位予想1〜5位【2025シーズン】
あまりにガラガラ…。Jリーグ収容率ワーストランキング1〜5位【2025シーズン】
200人以上に聞いた! Jリーグ、チャントが最高なクラブランキング1〜5位

【了】

1 2 3 4 5

KANZENからのお知らせ

scroll top
error: Content is protected !!