サッカーにおける監督業というのは非常に過酷な仕事だ。チームが勝利すれば選手たちにスポットライトが当たるが、敗れれば監督が責任を厳しく追求され、シーズン途中で任を解かれることも珍しくない。また、確かな手腕がある指揮官が、退任後のキャリアに空白を作るケースも珍しくない。今回は、現在どのクラブや代表チームも指揮していない日本人監督を5人紹介する。※データは『Transfermarkt』を参照。[5/5ページ]
手倉森誠(てぐらもり・まこと)
【写真:Getty Images】
生年月日:1967年11月14日
最後の指揮:ハノイFC(ベトナム)
退任:2025年9月16日
直近で監督の座を退いてフリーになったのが手倉森誠だ。
ベガルタ仙台で伝説のシーズンを過ごし、リオデジャネイロオリンピック(五輪)ではサッカーU-23日本代表を率いた名将は、今後どのような指導者人生を歩んでいくのだろうか。
手倉森の名を聞いて多くの人が思い出すのは、やはり仙台時代だろう。
2008シーズンに監督に就任すると、東日本大震災が発生した2011シーズンはJ1を4位でフィニッシュ。約1ヶ月半におよんだ中断期間開けの初戦となった川崎フロンターレ戦を2-1で制した後、インタビューにて涙で言葉を詰まらせる手倉森の姿は実に印象的だった。
翌2012シーズンにはクラブ史上最高となるJ1リーグ2位の成績を収め、目標としていたAFCチャンピオンズリーグ(現:AFCチャンピオンズリーグエリート)出場権を獲得した。
リオ五輪に臨むU-23日本代表監督に就任するため、2013シーズン限りで仙台の指揮官を退任した。そのリオ五輪では決勝トーナメント進出を果たせなかったが、その後もコーチとして日本代表に関わった。
近年は、活躍の場をアジアに移している。
2022年以降はタイで2クラブを指揮すると、2025年2月17日にはハノイFC(ベトナム)の監督に就任。9月16日には監督解任の憂き目に遭ったが、手倉森の挑戦は今後も続いていくものと思われる。
その舞台が引き続きアジアの国になるのか、はたまた日本に帰還するのかは定かではないが、今後の動向に要注目だ。
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