1993年に開幕したJリーグでは、数多くの外国人選手がプレーしてきた。見事な活躍をしてクラブの目標達成や発展に貢献した助っ人がいるが、期待に応えられず、ほとんどピッチに立つことなく日本を去った選手も少なくない。今回は、鹿島アントラーズで活躍できなかった外国籍選手を6人紹介する。※成績は鹿島アントラーズ在籍時のもの。[2/6ページ]
DF:モーゼル(元ブラジル代表)
【写真:Getty Images】
生年月日:1960年9月19日
在籍期間:1995年~96年
Jリーグ成績:17試合0得点
ブラジル人のモーゼルは、1981年にジーコとともにフラメンゴをコパ・リベルタドーレス初優勝に導いたセンターバックだ。
トヨタカップ(現・FIFAクラブワールドカップ)でリバプールを下して、クラブ世界一にも輝き、ブラジル代表としても活躍している。
その後もモーゼルのキャリアは成功に包まれていた。
ポルトガルのベンフィカでリーグ優勝2回、フランスのマルセイユではリーグ3連覇を達成している。
また、ベンフィカとマルセイユで、それぞれ1回ずつチャンピオンズカップ(現UEFAチャンピオンズリーグ)準優勝を経験した。
それでも、年齢による衰えには勝てなかったのかもしれない。
鹿島のテクニカルアドバイザーに就任したジーコに誘われる形で日本にやってきたモーゼルは加入時に34歳で、すぐに定位置を与えられたものの、パフォーマンスは期待されたほどではなかった。
それだけでなく、1995シーズン2ndステージだけで3度の退場という不安定な一面も。
翌1996シーズンの第8節・ジュビロ磐田戦でようやくシーズン初起用となったが、途中出場からわずか2分で退場となった。
鹿島は1996シーズンのJリーグで優勝し、1997シーズンも1stステージを制し、モーゼルは日本でもリーグタイトルを手にしたことになるが、チームの力になったとは言いがたかった。