これまで多くの外国人監督がJリーグクラブを率いてきた。チームを成功へと導いた名将もいれば、その一方でクラブを混乱や崩壊の危機に直面させた指揮官もいる。今回は、Jリーグで指揮を執りながらも、期待に応えられず残念な結末を迎えた外国人監督を紹介する。[5/5ページ]
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ランコ・ポポヴィッチ(セレッソ大阪/セルビア)

【写真:Getty Images】
生年月日:1967年6月26日
在籍期間:2014年2月~同6月
Jリーグ6クラブを渡り歩いたランコ・ポポヴィッチ監督だが、セレッソ大阪での指揮は期待とは裏腹に失望の結末を迎えている。
当時のセレッソは、柿谷曜一朗や山口蛍といった日本代表選手に加え、南野拓実をはじめとする多くの若手が頭角を現していた。
さらに、FIFAワールドカップ(W杯)南アフリカ大会でMVPに輝いたウルグアイ代表ストライカーのディエゴ・フォルランを獲得し、陣容の豪華さはリーグ随一。優勝候補に名を連ねるのも当然の戦力だった。
開幕戦ではサンフレッチェ広島に敗れたものの、第2節の徳島ヴォルティス戦から3連勝を飾り、ポポヴィッチ体制は順調な船出を切ったかに見えた。
しかし、その勢いは長く続かない。
対戦相手に研究されたことでチームは完全に停滞し、さらにAFCチャンピオンズリーグ(ACL)との過密日程が重なって、選手たちの疲労は蓄積していった。
その結果、4月以降のリーグ戦では8試合でわずか1勝と急失速。チーム状態が悪化する中、ポポヴィッチは打開策を見い出せず、選手への不満を公の場で口にするなど、次第に問題が表面化していく。
クラブは状況の深刻さを重く受け止め、6月のW杯中断期間中にポポヴィッチの解任を決断した。
だが、指揮官交代後もチームの混乱は収まらず、シーズン中に再び監督交代を強いられるなど迷走を極めた。
結局、優勝候補とまで言われたチームは、まさかのJ2降格という屈辱の結末を迎えてしまう。
代表クラスの選手を多数抱えながら、わずか半年でクラブを混乱に陥れた崩壊劇は、セレッソの歴史の中でも強烈な印象を残している。
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