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J1 1か月前

なぜ、いなくなった…。日本の「消えた天才」10人。才能がありながらも、伸び悩んだのは?【Part2】

シリーズ:編集部フォーカス text by 編集部 photo by Getty Images

 若くして才能を評価された選手でも、長くキャリアを続けられるとは限らない。ケガやプレッシャーなど、様々な理由でプロとしてのキャリアを早期に終えた選手もいる。今回は、かつて天才と称されながら、期待通りのキャリアを送れなかった日本人選手たちをピックアップして紹介する。成績は『transfermarkt』を参照。[5/5ページ]
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FW:林丈統(はやし・たけのり)


【写真:Getty Images】

生年月日:1980年10月14日
主な在籍クラブ:ジェフユナイテッド千葉、京都サンガF.C.

 林丈統は、サッカーの名門校・滝川第二高等学校の出身で、1998年に全国高等学校サッカー選手権大会で得点王に輝き、卒業後にジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド千葉)に加入した。

 1年目からJリーグの舞台に立ち、主に途中出場で経験を積みながら評価を高めていった。身長168cmと小柄ながら、スピードと抜け出しの鋭さ、正確なキックを武器に注目された。

 2003年に千葉の指揮官に就任したイビチャ・オシム監督は、林の才能を高く評価した人物として知られ、2005年のJリーグチップスのオマケとして付いてきた同選手のカードでは、「オシム監督が『才能は日本一』と評価するFW」と紹介されていた。

 しかし、林は“スーパーサブ”の殻を破れなかった。途中出場から流れを変える能力は高く評価された一方で、フル出場した試合では存在感を出し切れず、定位置をつかむには至らなかった。

 スタメンに定着するため、2006年に京都サンガF.C.へ移籍し、その後ジュビロ磐田、大分トリニータなどを渡り歩く。

 大分在籍時には、2012年のJ1昇格プレーオフ決勝で決勝弾を決めた。自チームをJ1昇格へ導いた一撃は、かつて所属したクラブのJ1復帰の夢を断ち切る皮肉な結末でもあった。

 あれから13年、千葉はいまだJ1の舞台に戻れていない。

 林は2013年に現役を引退。J1通算28ゴール、リーグカップ13ゴールという数字を残した。だが、「日本一の才能」と評された選手の名を思い出すとき、人々の記憶には決まって“スーパーサブ”という言葉が並ぶ。

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【了】

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