鹿島アントラーズのリーグ優勝に貢献した選手たちにフォーカスを当て、今季の取材で得た選手や関係者の証言から振り返るコラムを連載中。第2回は、期限付き移籍から復帰しながら、無得点という結果に終わった荒木遼太郎を取り上げる。優勝を決めた横浜F・マリノス戦の活躍に至る過程にあったいくつかの出来事を紹介したい。(取材・文:加藤健一)[1/2ページ]
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「そういったところでもチームに貢献できる」
FC東京へ期限付き移籍をして、7得点という結果を残して鹿島アントラーズに復帰した。鬼木達監督が就任した鹿島で、中心的な存在になるのではないか。開幕前はそんな予想も難しくなかった。
実際、宮崎キャンプのトレーニングマッチなどで、荒木遼太郎は主力組でプレーすることも多かった。ポジションは右MF。鬼木監督が川崎フロンターレ時代に家長昭博を置いていたポジションだ。
試合の主導権を握って相手を圧倒するという鬼木監督の理想とするチームに、圧倒的な技術と判断力を持つ荒木を必要としていたように見えた。
ただ、チームを大きく変えるときは我慢が必要となる。鹿島は宮崎キャンプでJ1初昇格を果たしたファジアーノ岡山に敗れ、水戸ホーリーホックとのプレシーズンマッチでもいいところを見せられず引き分け。そして、湘南ベルマーレとの開幕節を0-1で落とした。
この3試合すべてに荒木は先発していたが、第2節以降はベンチに座り、6試合連続で出番がなかった。第9節以降は再び出番が増えるが、ゴールやアシストといった明確な結果を残せずにいた。
この時期の荒木に話を訊いたことがある。5月のFC町田ゼルビア戦、攻撃面ではなかなか持ち味を発揮することができず、60分に下がった試合の後だった。
ただ、あくまでチームへの貢献という意味では決して悪くなく、対人守備や献身的なプレスでチームを助けていた。率直にその感想を荒木に伝えると、このような言葉が返ってきた。
「守備で何かしら貢献できたらいいと思っていた。目立たないかもしれないけど、攻撃でもスペースを空けるとか、他の選手の良さを引き出すとか、そういったところでもチームに貢献できる」
出場から遠ざかった夏場。荒木遼太郎は何を思う
荒木がコンスタントに出場していた4月から5月の約2ヶ月、荒木が先発した9試合で7勝2敗と今季の勝ち点ペースを上回る勝ち点を記録している。守備や味方を生かす動きで、荒木は間違いなくチームに貢献していた。
ただ、荒木は5月31日のガンバ大阪戦を最後に、怪我で離脱。2ヶ月以上もリーグ戦の出場が遠ざかった。
8月のリーグ戦で復帰したが、それ以降もなかなか出番は訪れない。怪我ではないと荒木は言う。「基準に達しなければ簡単には試合に出られない」という鬼木監督の言葉と照らし合わせれば、その基準に達していなかったと言うしかない。
それでも荒木はチームの雰囲気が暗くならないように、「あまりチームではマイナスなことを見せずにやり続けようかなって思った」。悔しさを押し隠しながら、常にポジティブでいようとした。
「試合出たらやれる」。そう思いながら、腐らずに出番を待ち続けた。
1か月半ぶりの出場となった名古屋グランパス戦、続くガンバ大阪戦では、短い出場時間の中でやるべきことはやった。1試合も落とせない緊張感のあるゲームが続いた終盤戦、懸命にボールを追い、チームのために身を粉にして働く。
「我慢強さとかはやっぱりついたかなっていうふうに思います。出られない時期を経て、そういったメンタル面がやっぱり鍛えられたかな」
鬼木達監督が感じていた荒木遼太郎の意気込み
誰かに答えを求めたわけではない。「自分で考えながらです」。自立して自分の中で消化していく作業が、我慢強さを作っていった。
鬼木達監督が就任して以降、鹿島では「守備でリズムを作る」という意識が浸透していった。鈴木優磨やレオ・セアラであっても、前線からの守備や攻守の切り替えのハードワークは免除されない。
前述した5月の町田戦で「今日はボールがあまり足につかなかったので、守備で頑張ろうと思った」と語っていた。敵陣での寄せ、奪い返した後の一歩目。数字には残らない仕事を、復帰後も当たり前のようにこなしていった。
鬼木監督もその姿勢を見ていた。優勝が懸かった最終節、横浜F・マリノス戦。指揮官は荒木を先発として送り出した。
「スタートだろうがサブだろうが、どんな形であれ貢献しようというものを、ここ数週間、数ヶ月感じ取れた」
荒木がこの試合に懸ける思いも強かった。
「やるべきこと、求められてるものは理解した上で入った。でも、それよりも、自分の今年1年間やってきて、まあ、それを全てぶつけようと思ってやりました」
ボールを握りながらも、決定機を作ることができない時間が続く。このまま時計の針が進めば、優勝のかかっている鹿島にとっては不利な展開になる。そう思っていた矢先だった。



