2025明治安田J1リーグ最終節、浦和レッズ対川崎フロンターレが6日に行われ、4-0でホームチームが勝利した。フロンターレにとって何かが懸かっていた試合ではなかったが、それでもMF大関友翔は悔しさのあまり、すぐに顔を上げることができなかった。サッカー日本代表にも選出された2025年は、彼にとって喜びよりも、悔しさや課題を感じることが多い1年になった。(取材・文:菊地正典)[1/2ページ]
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2025年最終戦で惨敗。大関友翔は顔を上げられなかった
試合終了のホイッスルを聞くと、大関友翔は倒れ込むようにピッチに這いつくばった。
12月6日に埼玉スタジアムで行われたJ1第38節、今シーズン最終戦で川崎フロンターレは浦和レッズに0-4で完敗した。
何かが懸かっていた試合ではない。1週間前にホーム最終戦と今季限りでチームを去る選手たちのセレモニーを終えている。それでも、2025シーズンを締めくくる試合としてあまりに無残だった。
その悔しさを最もあらわにしたのが、大関だった。
ピッチに這いつくばってしばらくするとキャプテンの脇坂泰斗に引き起こされたが、立ち上がっても顔を上げられない。乱雑にヘアバンドを取り、うなだれながらセンターサークルへ向かった。
ゴール裏に向かう際には、今季限りで現役を退く安藤駿介が目の前に表れ、驚いたように顔を上げて抱擁したが、すぐに下を向き、歩きながら頭をかきむしった。
ゴール裏の前でもメインスタンドの前でも、サポーターにお辞儀すればしばらく上体を起こせなかった。何とか送る拍手に力はない。
試合が終わった直後の気持ちを大関は素直に明かした。
「今年やってきたことが全く…」
「この1年、自分が何をやってきたのかって思うくらいの試合になったと思います」
いつも明るく、報道陣の問いを快活に返す印象が強い大関だが、この日ばかりは最後まで表情が晴れることはなかった。
大関はまずベンチから戦況を見つめていたが、チームは苦しんでいた。ホーム最終戦ということもあってか、攻守でアグレッシブに戦う相手の勢いに呑まれた。
劣勢が続く中で何とか凌いでいたが、前半終了間際の44分に失点を喫する。
それでも長谷部茂利監督が「後半行こうぜということで、いい準備をしている選手を出す」判断を下し、その1人として選ばれた大関は後半開始からピッチに入った。
大関はピッチに入った際の狙いをこう説明する。
「攻撃もそうでしたけど、守備がはまっていなかったので、プレスの掛け方も整理して、(脇坂)泰斗君が右に入って、相手のアンカーの(サミュエル・)グスタフソン選手に対して、しっかりと縦関係になって見ようとしました」
だが、結果としてうまくいかなかった。
「90分通して組織的に守れなかったなという印象ですし、今年1年、守備の時は4-4-2でプレスを掛けていく形をやってきた中で、いい形で取れた場面がなかったので、今年やってきたことが全く出せなかった、出させてもらえなかったという試合でした」
大関は2025年を飛躍のシーズンにするはずだった。
日本代表にも選出。しかし川崎フロンターレでは…
前年には期限付き移籍先の福島ユナイテッドFCで経験を積み、中盤の底で配球したり流れを作ったりするだけではなく、自ら飛び出してゴールに直結するプレーを身につけた。
決して得意ではなかった守備でも危険なスペースを察知して埋める力や対人強度を高めた。
10番を背負ったU-20日本代表では2月にU-20アジアカップで準々決勝まで4試合にスタメン出場して世界への切符を掴むと、クラブに戻ればJ1初スタメンとなった4月9日の横浜F・マリノス戦で開始7分にゴール。3列目からゴール前に飛び出し、相手にあたってコースが変わったボールをピタリと止めてゴールに流し込んだ一連の流れは、フロンターレから離れて得た成長とフロンターレで身につけた技術が融合していた。
その後も4月下旬から5月上旬に掛けて戦ったAFCチャンピオンズリーグエリート(ACLE)ではチームとして準優勝に終わる悔しい経験をしながらも、印象的なプレーを見せる。
7月にはE-1選手権に出場する日本代表メンバーに招集された。
国内組限定のメンバーとはいえ、クラブで絶対的なレギュラーではない立場ながら抜擢されたことは、森保一監督やスタッフの期待とも言え、試合に出場するだけでなく名波浩コーチから個別に課題を指摘されるなど、成長の機会となった。
さらに、9月から10月にはU-20ワールドカップに出場。ラウンド16のフランス戦で相手を圧倒しながら敗れる悔しさを味わう一方、決して小さくない自信も得た。
昨季はJ3でプレーしていたことを考えれば、飛躍と表現するのに十分なシーズンを送っていた。
それでも、フロンターレで絶対的存在になるには至らない。
特にシーズン終盤は思うようにプレーできなかった。チームとしてあまりに苦しい状況を1人で変えることは難しかったとはいえ、シーズン最終戦はその縮図と言えた。



