
奈良クラブの大黒将志監督【写真:藤江直人】
JFL、そしてJ1での学びを経て、大黒将志氏は奈良クラブの指揮官として新たな挑戦に踏み出した。勝つために、何を大切にするのか。ストライカーとしてゴールを量産してきた男は、監督元年のシーズンで自身の哲学を示そうとしている。(取材・文:藤江直人)[2/2ページ]
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「絶対にいいですよ」一本の電話がつないだ縁
奈良クラブの大黒将志監督【写真:藤江直人】
「かつて奈良クラブユースでコーチを務めていて、いまもよく連絡を取り合う浜岡寛さんから、大黒監督について『めちゃくちゃすごいですよ。濱田さん、絶対にいいですよ』と電話が来たんですね」
大黒監督は浜岡氏とともに、A級ライセンス講習を受講している縁があった。その際に目の当たりにした的確で、なおかつわかりやすい実技指導の実演に感銘を受けた浜岡氏から大黒新監督を推薦された。
実は同じような推薦が、サッカー関係者からいくつも濱田社長のもとに届いたという。確かに大黒氏にはJクラブで監督を務めた経験はない。それでも、この人しかいない、という思いに至ったと同社長は言う。
「個人的には、このままいけばいつかはガンバの監督になるだろうな、と思っています。でもいまだったら、初めての監督としての挑戦として、奈良クラブに来てもらえる可能性があるんじゃないか、と」
奈良から届いた監督への就任要請を、大黒氏は「勇気あるオファーをいただいた」と感謝する。そして、受諾するのに迷いもなかった。監督を務めあげるための哲学とイズムが、すでに確立されていたからだ。
「日々しっかりと見極めながら…」

サッカー日本代表としても活躍した大黒将志氏【写真:Getty Images】
すでに選手にも伝えているものが「サッカーにはレギュラーというものは存在しない」となる。
「僕には野球選手の知り合いもいて、彼らに聞くと野球にはレギュラーが存在する、と。下手な選手でもだいたい打率2割くらいは打つから、野球の場合はなかなかレギュラーが変わらないらしいんですよ」
現役時代から熱狂的な阪神ファンだと公言。ガンバや日本代表で背負った「16番」や「31番」を「岡田や掛布と一緒や」と喜んだ大黒氏らしい野球の例え話を交えながら、45歳の新監督はさらにこう続けた。
「サッカーはそういうスポーツじゃない。日々しっかりと見極めながら、勝てる確率が一番高い選手を選んでいきたい。どのようなフォーメーションなのかは、サポーターのみなさんに見ていただければ」
もうひとつが「いい加減なサッカーをして勝った、負けたと言うつもりはない」となる。
「前線の選手の個を伸ばす仕事は、実は個人的にはそれほど難しくない。体の向きやスタートポジションなど、どのようにすれば点が入るのかがすぐにわかるし、それは奈良の選手たちにも伝えています」
枚方や川崎での成功体験をもとに、大黒監督はアタッカー陣の育成に関しては問題ないと胸を張った。そのうえでコーチではなく、監督としてチーム全体を率いる奈良での仕事が「本当に楽しい」とこう語る。
「見ている方が面白いと思えるような…」

奈良クラブの大黒将志監督【写真:藤江直人】
「自分がやりたいサッカーが明確にある。それをしっかりと選手に伝えるためにミーティングもよく開催していますし、選手たちもミーティングのたびに理解してくれて、どんどんよくなっているので」
ミーティングで使用する映像も自ら編集するなど、脳裏に描かれているビジョンを選手たちに落とし込むための時間を割くのにも余念がない。具体的にはどのようなサッカーなのか。大黒監督が言う。
「とにかく自分たちからアクションを起こして全員が連動していく。枚方でもそういうサッカーをしていたし、見ている方が面白いと思えるようなサッカーで勝っていく過程こそに、僕が監督でいる意味があるので」
現役時代は延べ11チームでプレーし、Jリーグだけで177ゴールをマーク。記録と記憶に残るゴールを決めた日本代表を含めて、生粋のストライカーとして活躍した大黒氏は、豪放磊落というイメージが強い。
しかし、実は緻密で繊細。小学生時代にガンバのジュニアの前身だった釜本FCで、不世出のストライカー、釜本邦茂氏(故人)から叩き込まれたゴールの必然性を逆算していく思考回路はその名残でもある。
そして、奈良でスタートさせる監督としても、逆算を開始する地点は決まっている。
「半年間の百年構想リーグだけでなく、次のシーズンで優勝、昇格できるように全員でこだわっていく」
チーム得点王の岡田優希(福島ユナイテッドFC)や同2位の百田真登(ザスパ群馬)が移籍した新シーズン。奈良に生じていたはずの不安を、大黒新監督が放つ期待感がすでに打ち消しつつある。
(取材・文:藤江直人)
【著者プロフィール:藤江直人】
ふじえ・なおと/1964年、東京都渋谷区生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後の1989年に産経新聞社に入社。サンケイスポーツでJリーグ発足前後のサッカー、バルセロナ及びアトランタ両夏季五輪特派員、米ニューヨーク駐在員、角川書店と共同編集で出版されたスポーツ雑誌「Sports Yeah!」編集部勤務などを経て07年からフリーに転身。サッカーを中心に幅広くスポーツの取材を行っている。サッカーのワールドカップは22年のカタール大会を含めて4大会を取材した。
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【了】