横浜F・マリノス一筋14年目の喜田拓也【写真:編集部】
一時は最下位に低迷、多くの時間を残留争いに費やし、クラブ史上最低のリーグ戦15位という結果に終わった横浜F・マリノスの2025シーズン。苦境の中でも喜田拓也は、チームの象徴として、キャプテンとして、ひとりのプロサッカー選手として、クラブのあるべき姿を示し続けた。F・マリノス一筋14年目のバンディエラが走り切った先にみえたものとは。(取材・文:竹中愛美)[2/2ページ]
【単独インタビュー/取材日:1月25日】
チームの拠り所になろうとした喜田拓也自身を支えたもの
本サイトのインタビューに答える横浜F・マリノスの喜田拓也【写真:編集部】
「嬉しかったことはありますね。やりきって、シーズンが終わって。本当にたくさんの人からいろんな言葉をかけてもらって。なんか、伝わっているんだなと思いました。それもすごく嬉しかった出来事のひとつです。
自分がやってきたこと、してきた行動の数々が伝わっているか、本人はわからないじゃないですか。やりきったからこそ見えたものといえば、それがすごく大きかった。伝わっていたと実感できたことはありましたね」
かけてもらった言葉のすべてが「自分の中では本当にもうこれ以上ない良い言葉の数々だった」と振り返る喜田。
喜田のそうした言動のひとつひとつが結果として、多くの人に伝播したということは間違いなさそうだ。
これまで1度も降格をしたことがなく、5度のリーグ優勝を誇る名門のプライドや伝統を守ることは簡単なことではない。ましてや、キャプテンとして担った重責は当然、軽いものでもない。
喜田はチームの拠り所になったが、喜田自身の支えになっていたものは何だったのか。
「それはもう家族や仲間、自分を信じ続けて気にかけてくれた人、そしてファン・サポーターの皆さんに尽きますね。もうあれだけの姿勢を見ればたぶんもうわかってもらえると思うんですが」と間髪入れずに答え、こう続けた。
「本当に苦しい状況のときでもチームのそばにいることを忘れずに、彼ら彼女らはもう腹を括っていたと思うんです。本当に一緒に苦しんでいる感覚があったし、一緒に戦っている感覚があったので、それが何よりも嬉しくもあり辛かったです。僕らが悔しいのは当たり前だし、僕らの力が足りずにそういう思いをさせてしまっているので。
もう何回も涙も見たし、失望もさせたと思う。それが肌でわかるので辛くもあったんですが、チャントにもあるように、“どんなときでも俺たちがそばにいる”というのを本当に感じさせてくれたので、乗り越えられた1番の要因だと思う」
喜田の思いはしっかりと伝わっている。喜田が仲間やチームスタッフを信じ続け、支え続けたように、ファン・サポーターはもちろん、横浜F・マリノスにかかわるすべての人たちが目に見えないところで喜田を支えていた。
逆境を乗り越え、得た気付きが与えるものは小さくないだろう。クラブの象徴は今年もクラブがあるべき姿を示し続ける。それも、一回りも二回りもたくましくなってだ。
(取材・文:竹中愛美)
【著者プロフィール:竹中愛美】
1990年、北海道生まれ。Jリーグ開幕で世の中がサッカーブームに沸いていた幼少期、「入会したらヴェルディ川崎のボールペンがもらえる」の一言に釣られて地元のクラブでサッカーを始める。以降、サッカーの魅力に憑りつかれた日々を送ることに。ローカルテレビ局時代に選抜甲子園や平昌冬季五輪、北海道コンサドーレ札幌などを取材し、2025年よりカンゼンに所属。FWだったからか、この限られた文字数でも爪痕を残したいと目論むも狭いスペースの前に平伏す。ライターとして日々邁進中。
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