
横浜F・マリノスの大島秀夫監督【写真:編集部】
昨季は2度の監督交代や単独最下位、相次ぐ選手の負傷離脱、主力選手たちの移籍など様々な出来事を乗り越え、J1残留を果たした横浜F・マリノス。2月6日の明治安田J1百年構想リーグの開幕を控える中、就任2年目となる大島秀夫監督に新シーズンでの戦い方や今後の展望について聞いた。(取材・文:竹中愛美)[2/2ページ]
【単独インタビュー/取材日:1月25日】
大島秀夫監督が横浜F・マリノスで描く夢

就任2年目の横浜F・マリノス・大島秀夫監督【写真:編集部】
「僕自身まだ2年目ですし、未熟でもっと成長しなければいけないという気持ちでいる。アンジェとかケビン(・マスカット)とかはもうスタイルが確立されていて、(僕は)経験や結果がある人とのスタイルとは違う。なので、自分も選手やスタッフと一緒に成長していけるような、そういう監督像をと今は思っている。
どうなりたいかと言われれば、アンジェが残していったように、ピッチ上でもピッチ外でも選手にもスタッフにも会社にも、土台や考え方の基礎となるようなもの、文化みたいなものをクラブに植え付けられるような、そういう監督になれればいいな。いま理想のだいぶ理想の話をしています。全然そのような立場ではないので」
幾度か発された成長という言葉からもわかるように、大島監督はなりたい像に向かって、時には形を変えながら、前進していく。
そうして、F・マリノスで一歩ずつ前へと進んだ先に、どんな夢を描いていくのだろうか。
「僕はそんな先まで行くかわからないので、特にないです(笑)いや、F・マリノスで僕がどうこうではなくて、常に優勝争いするクラブであってほしい。
ACLE(AFCチャンピオンズリーグエリート)、アジアの舞台でタイトルを取るのが、クラブの大きな目標だと思うので、そこに値するようなクラブであり続けてほしいです」
やはり、いつものように謙遜し、自身のことは二の次だった。
だから、「ご自身の夢は何ですか」と改めて聞いてみた。
「まずはそういう(常に優勝争いをし、アジアでタイトルを取るような)クラブになるための力になれればいいと思います。どうですかね。僕自身は死ぬときに幸せだったと思えれば」とはぐらかされたが、最後に、こう付け加えてくれた。
「本当にさきほど(言った)みたいな感じです。文化になることができれば、それはすごいことだと思っている。そういうのを目指せればいいかなと思います」
決して、言葉数は多くないが、大島監督の内に秘めたる思いが少しだけ顔を覗かせたような気がした。再び、強いF・マリノスを取り戻すため、新シーズンも静かに情熱を燃やしていく。
(取材・文:竹中愛美)
【著者プロフィール:竹中愛美】
1990年、北海道生まれ。Jリーグ開幕で世の中がサッカーブームに沸いていた幼少期、「入会したらヴェルディ川崎のボールペンがもらえる」の一言に釣られて地元のクラブでサッカーを始める。以降、サッカーの魅力に憑りつかれた日々を送ることに。ローカルテレビ局時代に選抜甲子園や平昌冬季五輪、北海道コンサドーレ札幌などを取材し、2025年よりカンゼンに所属。FWだったからか、この限られた文字数でも爪痕を残したいと目論むも狭いスペースの前に平伏す。ライターとして日々邁進中。
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