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J1 10時間前

「本当に嫌で嫌で…」原靖が監督解任を伝えた日。原点は大分トリニータ時代「ノウハウは重鎮から学んだ」【Jリーグ強化担当という生き方1】

シリーズ:コラム text by 元川悦子

FC町田ゼルビアFDを務める原靖
インタビューに応じるFC町田ゼルビアFDの原靖【写真:編集部】



 現在、FC町田ゼルビアでフットボールダイレクターを務める原靖。故郷の大分トリニータで強化担当としてのキャリアをスタートさせ、20年以上に渡って計4クラブで辣腕を振るってきた。クラブによって異なる事情、様々な監督や経営者の間で、原氏はどのように立ち振る舞ってきたのか。全3回に及ぶ連載で、原のキャリアを振り返りたい。(取材・文:元川悦子)※本文敬称略[1/2ページ]
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原靖の強化担当キャリアを振り返る

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FC町田ゼルビアは昨季、天皇杯を制した【写真:編集部】

 鹿島アントラーズの鈴木満アドバイザー、柏レイソルや名古屋グランパスで手腕を振るった久米一正氏(故人)らに象徴される通り、「強いクラブに名強化担当あり」と言われるのがサッカー界の常。2024年のJ1初昇格から2025年の天皇杯制覇、AFCチャンピオンズリーグエリート(ACLE)初参戦と劇的な躍進を遂げているFC町田ゼルビアにも、原靖フットボールダイレクター(FD)という敏腕強化トップがいるのだ。

 原FDは地元の大学を卒業後、いったんは教職に就き、そこからサッカー界に転身したという異色の経歴の持ち主だ。ここまで大分トリニータ、清水エスパルス、ファジアーノ岡山を渡り歩き、2023年に町田に赴いたわけだが、30年近い長い年月の間には多くの人々との出会いがあった。もちろん困難な状況にも直面。それを乗り越えて現在の成果を得ているのだ。



 そんな原FDにここまでの道のりを改めて振り返っていただき、彼自身の人物像と強化担当の仕事に迫った。

 1960年後半生まれの原が地元の大学を卒業したのはバブル期の1990年。当時はJリーグ発足への機運が高まり始めていた頃だが、プロサッカー選手になることを現実的に考えられる環境にはなかった。彼も教職を選び、安定した人生を送るつもりだったが、2002年のFIFAワールドカップ(W杯)の日本開催が決まり、大分が開催地に手を挙げたことで状況が一変。新たな人生が動き始めたという。

 原は怖いもの知らずの20代後半を述懐する。

大分からアメリカへ。「いろんなサプライズもありました」

日韓W杯が行われたクラサスドーム大分
日韓W杯が行われたクラサスドーム大分【写真:Getty Images】

「『一村一品運動』で知られた大分県の平松守彦知事(当時)と、自治省時代の平松さんの部下で大分県庁に出向していた溝畑宏さん(現大阪市観光局長)が中心となってビッグアイ(クラサスドーム大分)建設が進み、大分トリニティ(現大分トリニータ)が創設されることになったんです。

 故郷・大分にW杯が来るなんて夢にも思わなかった。教師をやめて、僕はトリニティに入ったんです。94~96年は選手としてプレーさせてもらい、すごくいい経験ができました。

 97年にはチームを離れ、現役最後をアメリカで飾るべく、北米2部のチームにも行きました。当時は94年アメリカW杯直後でアメリカサッカーも盛り上がっているだろうと考えたんです。円高で海外に行きやすかったのもありますね。



 実際に行ってみると、8万人のアメフト場に3000人しか観客が来ないこともあった。いろんなサプライズもありましたけど、英語を話せるようになったりと僕にとってはすごく楽しい時間でした」

 その後、大分大学の大学院で学び直し、2000年には再び大分トリニータへ。最初はスクールコーチからのスタートだった。幼稚園児から小中学生を幅広く教える機会を得て、指導の魅力を大いに感じたという。

強化を担当するきっかけ「だったらやる意味はあるのかな」

原FDが最初に手掛けた皇甫官監督の大分トリニータ
大分U-18やトップチームを率いた皇甫官監督【写真:Getty Images】

「大分はもともと少年サッカーが盛んで、2000年代前半には清武くん(弘嗣)のような有望な少年が何人かいましたね。自分がトリニータの中学生を教えていた時代には、西川くん(周作)や梅崎くん(司)、東くん(慶悟)、井上くん(裕大)、小手川くん(宏基)がU-18にいた。監督は皇甫官(ファンボ・カン=元韓国サッカー協会技術委員長)さんで、本当にいい指導をされていました。

 クラブも右肩上がりの時期で、『自分もライセンスを取ってこのまま指導者をやっていきたい』と考えていました。その矢先に社長の溝畑さんに突然呼ばれ、『今後、引退した選手が数多く指導者になるだろうから、原君は強化の方で力を貸してもらえないか』と言われたんです。

 正直、面食らいましたが、確かに周りを見回してみると、強化の人材は少なかった。満さん、久米さん、徳さん(当時FC東京の鈴木徳彦強化本部長)といった方々は活躍されていましたが、自分のような30代の人間はあまりいなかった。『だったらやる意味はあるのかな』と思い至ったんです」と原はしみじみと語る。



 それが2003~04年の出来事。最初はスカウトを手掛けることになった。原が参考にしたのが、90年代後半にサンフレッチェ広島のスカウトを務め、2002年に大分をJ1昇格へと導いた小林伸二監督だった。

「小林伸二さんは広島の基盤を築いた今西和男さんの薫陶を受けた人。『スカウトたるもの写真付きの名刺を持つべきだ』と話していたのが印象的でした。それを真似して僕も写真入り名刺を作り、有望選手のところを回り始めたんです。2005年加入の深谷友基くん、2006年加入の森重真人くんや高橋大輔くん、2007年加入の金崎夢生くんの獲得にも関わりましたけど、そこも当たりましたね」と原FDは運に恵まれたことに感謝する。

 そして2005年には強化部長に就任。原FDが最初に手掛けたのが、皇甫官監督体制のトップチーム構築だ。

「皇甫さんが監督になるから今日から支えてくれ」と溝畑社長に言われ、重責を感じながらサポートしたが、なかなか結果が出ない。下位に低迷し、8月には指揮官交代という大鉈を振るうことになった。

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