
レイラック滋賀FCの角田駿【写真:Getty Images】
明治安田J2・J3百年構想リーグ地域リーグラウンドWEST-B第5節が8日に行われ、レイラック滋賀FCはロアッソ熊本に1-0で勝利した。滋賀県初のJクラブとなった滋賀で8年目を迎えた角田駿は、ホーム開幕戦のピッチで胸が熱くなった。観客数200人台の時代からチームを知る最古参は、滋賀サッカー史の節目で何を思ったのか。(取材・文:藤江直人)[2/2ページ]
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「正直、辞めようかと…」

昨シーズンの入れ替え戦に勝利したレイラック滋賀FC【写真:Getty Images】
「入れ替え戦にいけるか、いけないかの大事な場面でPKを与えてしまって、ちょっと燃え尽きてしまったというか。僕の責任だと思ってしまったなかで、正直、辞めようかと思っていました」
しばらくしてスマートフォンに着信が2本入った。ひとつはクラブの現社長を務める内林広高取締役専務で、もうひとつは新オーナーに就いていた「麗ビューティー皮フ科クリニック」の河原一賢代表だった。
「2人は『お前に環境を与えるから、それをやるかやらないかはお前次第だ。お前の責任にするつもりもまったくない』と言ってくれました。その言葉にすごく救われて、いまもサッカーを続けられています」
特に河原オーナーは個人的に大変な状況に直面していた。子宮頸がんで闘病中だった夫人で、同クリニックの創設者兼院長の居原田麗さんの状態が悪化して緊急入院。翌2024年1月に帰らぬ人となった。
畑違いに映るオーナーに就任したのも、生まれ育った滋賀県へ深い愛情を注ぎ続け、滋賀のサポーターとして近い将来のJクラブ入りを願っていた麗さんの励みになれば、という思いに後押しされていた。
そして車椅子姿で敵地へ応援に駆けつけた三重戦の後に、麗さんの体調が急変していた。
「だからこそこの滋賀というチームを…」
レイラック滋賀FCの角田駿【写真:Getty Images】
「そうしたなかで僕を気遣う電話をかけてくれたオーナーには本当に感謝していますし、だからこそこの滋賀というチームを絶対にJリーグに参入させたい、という思いが人一倍強くなりました」
レイラック滋賀FCとして再出発して3年目の昨シーズン。JFLで2位に入った滋賀は、J3で最下位だったアスルクラロ沼津との入れ替え戦を2戦合計4-3で制して夢のひとつを成就させた。
平和堂HATOスタジアムで昨年12月7日に行われ、滋賀が3-2で先勝した第1戦には9,006人もの大観衆が駆けつけた。一転して熊本とのホーム開幕戦の公式入場者数は3,428人だった。
「確かに今回は少なかったけど、サッカーの優勝決定戦や入れ替え戦には多くの方が集まるものなので。MIO時代を考えるとこの人数に来ていただけるだけでも感謝しています。あとは僕たちが結果を出して、滋賀県にはレイラック滋賀があるよねと思ってもらえたら、おのずと観客数も増えていくと思っています」
今後は自分たち次第を強調した角田の脳裏には昨シーズン、まったく異なる思いが浮かんでいた。
もし沼津に屈してJ3参入を逃していたら。角田は「多分、辞めていたと思います」とこう続ける。
「見切りをつけるとすればここかな、と…」
レイラック滋賀FCの角田駿【写真:Getty Images】
「特別シーズンを含めて、次のチャンスまでに1年半もの期間の長さがありました。さらに日本サッカー界の流れといったものも変わるなかで、おそらく僕がサッカーをやめた今後の人生の流れというものもだいぶ左右されてしまうなと勝手に懸念していたなかで、見切りをつけるとすればここかな、と」
9月には30歳になる。年齢的な問題も常に意識してきた角田は「だからと言って、決して適当にプレーしてきたわけではありませんでした」と全身全霊のプレーを誓い、常に背水の陣を敷いてきた。
そしてJリーガーになる夢をかなえてから約3カ月。Jクラブとして臨むホーム開幕戦で先発し、勝利をつかんだ角田は、MIO時代からチームに携わってきたすべての人々を勇気づける存在感を放っている。
「さまざまな方が繋いでくれたものを、ピッチに立つ僕がさらに先に繋げていける。みなさんに感謝していますし、さまざまな方から連絡もいただいている。そのなかで勝てた意味でも本当にうれしいですね」
身長180cm・体重73kgの体に、真っ赤な闘志を凝縮させたファイターとして存在感を際立たせるだけではない。
MIO時代からチームに注がれてきたさまざまな思いを背負い、力に変えていく生え抜きの最古参選手として、歴史に残る「2026年3月8日」を通過点にしながら角田は全力で前へと駆け抜けていく。
(取材・文:藤江直人)
【著者プロフィール:藤江直人】
ふじえ・なおと/1964年、東京都渋谷区生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後の1989年に産経新聞社に入社。サンケイスポーツでJリーグ発足前後のサッカー、バルセロナ及びアトランタ両夏季五輪特派員、米ニューヨーク駐在員、角川書店と共同編集で出版されたスポーツ雑誌「Sports Yeah!」編集部勤務などを経て07年からフリーに転身。サッカーを中心に幅広くスポーツの取材を行っている。サッカーのワールドカップは22年のカタール大会を含めて4大会を取材した。
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