
RB大宮アルディージャの杉本健勇【写真:Getty Images】
杉本健勇にとって、この敗戦はただの黒星ではなかった。クラブを支え続けた原博実氏を勝利で送り出せなかった悔しさと、自身をここに繋ぎとめた恩人への思いが交錯する。どん底から再起を遂げたストライカーはいま、その覚悟と責任を胸に次の一歩を踏み出そうとしている。(取材・文:浅野凜太郎)[1/2ページ]
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明治安田J2・J3百年構想リーグ・地域ラウンド第11節
RB大宮アルディージャ 2-1 ジュビロ磐田
NACK5スタジアム大宮
原博実氏を勝利で送り出したかったRB大宮アルディージャ

代表取締役社長を退いた原博実氏【写真:Getty Images】
「原さんがいたからここに残る決断をした」
それは野暮な質問だった。
この日のNACK5スタジアム大宮では、2022年4月からRB大宮アルディージャのフットボール本部長に就任し、昨年1月に代表取締役社長となった原博実氏の退任セレモニーが行われた。
大宮アルディージャからRB大宮への変革期を支えた功労者は、時おり冗談を交えながら、クラブへの感謝を告げた。
「これからはOBとして大宮を応援したいと思います。サポーターのみなさん、まだまだ大変なことがあると思いますが、ぜひともいままでどおりに応援して、RB大宮アルディージャを支えてください。楽しかったです!フリーになるのでジュビロ(磐田)の応援にも行きたいと思います」
原氏のあいさつに、スタジアムからは万雷の拍手と笑いが起こった。
クラブの誰もが、「原さんへの花道を飾りたい」と願っていたはずだろうし、ピッチ上の選手たちはその想いに応えようと懸命にプレーした。
しかし、サッカーは時に残酷だ。
先制した大宮だったが、後半アディショナルタイムのラストワンプレーで逆転を許して、1-2で敗戦した。2連敗を喫したイレブンは失意に暮れながらロッカールームへ下がっていった。
そして誰よりも遅く、ミックスゾーンに現れたのが杉本健勇だった。
「前半が良かったとかはどうでもいいんです」

RB大宮アルディージャの杉本健勇【写真:Getty Images】
「チャンスはあったけど、前半と後半とかじゃなくて90分を通して考えないといけないし、それでどう勝つか。前半が良かったとかはどうでもいいんです。
みんなも言っていると思うけど、球際とかセカンドボールはもちろん大事。でもそこが80パーセント勝てるゲームが毎試合あるわけない。ほとんど五分五分の試合が続いていくんですよ。どこのチームも」
表情は険しく、言葉には力がこもっていた。
「現状はいいゲームをしても、次にめちゃくちゃ悪いゲームをしてしまうことがある。果たして積み上がっているのかというところ。もちろん日々の積み重ねが大事で、チャレンジはしていると思いますけど…」
杉本は原氏の退任をリリース直前まで知らず、別れを知ったときはショックだった。
それでも「きょうはなんとか勝利を届けたかった」と57分からピッチに立ったが、チームを勝たせられなかったと悔しさをにじませた。
立場は違えど、ともに戦ってきた原氏の存在は、杉本にとってどんなものだったのか。
「原さんとの思い出はありますか?」と純粋に聞いてみると、杉本の顔がふっとほころんだ。
「どん底まで落ちた」杉本健勇と復活を試みたクラブ

RB大宮アルディージャの杉本健勇【写真:Getty Images】
「いや、思い出しかないですよ。僕は原さんがいたからここに残る決断をした。自分にとっては大きな存在でした」
野暮な質問だったと反省した。杉本のキャリアを考えれば、原氏は恩人といっても過言ではない存在で、思い出がないわけなかった。
杉本は2010年にセレッソ大阪でプロ契約を締結すると、メキメキと頭角を現していって日本代表に選出されるまでのプレーヤーに成長した。
しかし、2019年の浦和レッズ移籍以降はサムライブルーからも遠ざかり、ジュビロ磐田と横浜F・マリノスの2クラブでプレーした2023年は、リーグ戦12試合1得点の活躍にとどまった。
当時については「どん底まで落ちた」と振り返るほどだ。気が付けばベテランと呼ばれる30代に突入していた男はキャリアの岐路に立たされていた。
そんな杉本と手を取り合うようにして復活を試みたのが、当時クラブ史上初のJ3降格を経験していた大宮だった。
磐田からの期限付き移籍で加入した2024年にJ3優勝とJ2復帰の立役者になると、完全移籍に移行した昨季は36試合に出場した。
惜しくもJ1昇格プレーオフで敗れたが、背番号23は選手としての価値を再び証明した。
クラブは同時期にレッドブルの傘下となり、ピッチ内外の環境が目まぐるしく変化した。
そのなかでも原氏は、選手たちのことをいつも気にかけていたという。
杉本が「ふふっ」と笑みを浮かべながら、濃密な2年間を振り返る。