
ASローマ エマヌエーレ・ルッリ【写真:Getty Images】
移籍が当たり前になった現代サッカーで、なぜASローマには生え抜きの「ローマの子」が生まれ続けるのか。トッティ、デ・ロッシら歴代のバンディエーラに連なる19歳エマヌエーレ・ルッリの鮮烈なデビューから、クラブと街を結ぶ“ロマニズモ”の正体をたどる。(文:佐藤徳和)[1/2ページ]
セリエAデビュー、無名の19歳を開幕戦で大抜擢

ASローマ エマヌエーレ・ルッリ【写真:Getty Images】
8月24日、26/27シーズンのセリエA開幕節の一戦、ASローマ対フィオレンティーナ。スタディオ・オリンピコは、6万7,598人の大観衆の熱気に包まれた。
マルコ・コニーディの「Mai sola mai(筆者訳:絶対に一人にはさせない)」に続き、「Roma Roma Roma」がスタジアムに鳴り響き、サポーターが熱唱する。この曲を歌うシンガーソングライター、アントネッロ・ヴェンディッティも客席からこの一戦を見守っている。
選手たちが子どもたちと手をつないで入場する。その中には、5日前にFCポルトから加入したばかりのニューカマー、ロドリーゴ・モーラと、もう一人、この試合がセリエAデビュー戦となる若者がいた。
右ウイングバックの背番号「77」を身に纏うエマヌエーレ・ルッリ、8月17日に19歳の誕生日を迎えたばかりのティーンエイジャーだ。
ASローマはこのポジションの補強として、ナウエル・モリーナをアトレティコ・マドリードから1800万ユーロの移籍金で獲得していた。
だが、ジャン・ピエロ・ガスペリーニが選択したのは、FIFAワールドカップ2026(北中米W杯)の7試合に出場したアルゼンチン人DFではなく、これまでプロとして1試合も出場経験のなかったルッリだった。主要メディアもまったく予想していなかった先発メンバーとなった。
それでも、多くのサポーターは、ルッリの名を知っていた。なぜなら、ローマ大都市圏のコムーネ(市)の一つ、パレストリーナ生まれで、ローマ市内のトル・トレ・テステで育った、ASローマの下部組織出身の“フィッリョ・ディ・ローマ(ローマの子)”だからだ。
2022/23シーズンにU-16、2023/24シーズンにはU-17のカテゴリーでプレーし、昨季はプリマヴェーラ1のレギュラーシーズンで27試合に出場。2得点8アシストと印象に残る活躍を見せた。
今夏のプレシーズンではトップチームに帯同。8月15日に行われた最後のプレシーズンマッチ、ボルシア・ドルトムント戦に先発出場し、75分までピッチに立った。
ルッリはセリエBのUSアヴェッリーノへレンタル移籍する可能性が高まっていたが、ガスペリーニが残留を熱望し、このままASローマに留まる運びとなった。
大観衆の前でも臆せず。新たな「ローマの子」が示した可能性

ASローマ エマヌエーレ・ルッリ【写真:Getty Images】
1メートル84の堂々たる体格を誇るルッリは、緊張した様子を微塵も見せず、終始積極果敢なプレーで大観衆を沸かせた。
イタリア紙『ラ・ガッゼッタ・デッロ・スポルト』は、ルッリに6.5の評価をつけ、「チェリク以上に積極性と勇気がある。もちろん、これから多くの面で成長していかなければならない。しかし、素材はある。3-0のきっかけとなったボール奪取もルッリによるものだ」と昨季まで右ウイングバックのレギュラーを務め、今夏ユヴェントスへ移籍したゼキ・チェリクを引き合いに出し、そのパフォーマンスを称えた。
チームメイトやクラブ関係者も『Instagram』で賛辞を送っている。ジャンルカ・マンチーニは「最高のカヴァッロ・パッツォ(暴れ馬)だ!」と綴った。
また、30年以上にわたって務めた育成部門の責任者を今夏に退任したブルーノ・コンティもメッセージを寄せた。「おめでとう、エマヌエーレ! 家族と君自身が重ねてきた努力を考えれば、すべて君にふさわしいものだ。これが長い道のりの最初の一歩であることを願っている。君を大切に思っているよ」
パウロ・ディバラの3アシスト、ドニエル・マレンのトリプレッタで4-0と完勝したこの試合、とどめの一撃を決めたのも、“フィッリョ・ディ・ローマ”のニッコロー・ピジッリだった。
この日はベンチ入りもできなかったが、チームにはもう一人、ローマ出身のロマニスタがいる。8月8日に新契約を締結したロレンツォ・ペッレグリーニだ。現在は右大腿直筋の負傷により戦列を離れており、9月5日のアタランタ戦、もしくは13日のトリノFC戦での復帰が予想されている。
ローマで育まれた才能。19歳ルッリの原点

ASローマ エマヌエーレ・ルッリ【写真:Getty Images】
移籍が日常化し、短期間でクラブを離れる選手が少なくないこの時代に、下部組織出身の選手が3人もいることは驚きだ。しかも3人はローマ出身である。
ローマとは、ニつを意味する。一つは15のムニチーピオという行政区から構成されるローマ・カピターレ(首都ローマ)、いわゆるローマ市で、ローマ大都市圏の行政庁所在地が置かれているところだ。「大都市圏」とは以前は「県」と呼称されていたが、2014年の規定に基づき、主要都市を中心とする広域自治体は「大都市圏」と呼ばれるようになった。ローマ市の人口は約274万人である。
もう一つは、ラツィオ州を構成する5つの広域自治体の一つ、ローマ大都市圏(法改正前はローマ県)である。ローマ・カピターレを中心に121のコムーネ(市)から成る。こちらの人口は約422万人だ。
例えば、ローマ市に隣接するコムーネの一つにフラスカーティがある。同名のワインで知られ、ASローマのレジェンド、アメデーオ・アマデーイの故郷でもある。このフラスカーティ生まれの人物であっても、「ローマ出身」と名乗る場合があるのだ。
ルッリが生まれたパレストリーナはローマ大都市圏に属するコムーネの一つで、育ったトル・トレ・テステはローマ市内のムニチーピオの一つ、第5区に位置する。
ルッリは生まれ故郷のパレストリーナと同名のクラブでサッカーを始めた。当時の監督を務めていたステーファノ・ヴェルサーリが、ローマ専門紙『il Romanista』のインタビューに答えている。
「6歳の頃からすでに上手く、ピッチで違いを生み出していた。難しい練習をやっても、どうやればいいのかすぐに理解していた。私はいつもほかの子どもたちに『エマヌエーレがやっていることを見てごらん』と言っていた。コーディネーション能力がすでに身についていた」
そして「試合にエマヌエーレがいないと、チームメイトが悲しそうにしていた。彼が来ると、ほかの子どもたちの顔に笑顔が浮かぶほどだった。エマヌエーレが一緒なら、いつもお祭りのようだった」と語り、幼少期からリーダーの素質を備えていたことを明かす。
さらに「年齢を考えれば、すべてにおいて完成度が高かった。技術的には素早く、それに、すでに動き方を分かっていた。誰にパスを出すべきか、相手がどう動くのかを理解していた。腕を広げてボールを守ることも、すでにできていた。
何でもできていた。そして何より頭が良かった。後ろに下がってプレーすることにも、中盤でプレーすることにも何の問題もなかった」と続け、高いセンスを身に着けていたことを強調している。