「この舞台でやらないとサッカー選手を終われないな」。2026年北中米W杯を見て、そう感じたという濃野公人。これまで年代別を含めて一度も日本代表に招集されたことのない24歳は、2030年大会を見据え、鹿島アントラーズからアメリカ・メジャーリーグサッカー(MLS)のD.C.ユナイテッドへ渡った。一方、古巣への愛情は今も変わらず、鹿島時代に感じていたプレッシャーを振り返り、「もっと成長できたのかな」と後悔も口にする。単独インタビュー最終回では、世界の舞台を目指す野心と、鹿島を離れて初めて気づいた思いに迫る。(取材・文:元川悦子)[2/2ページ]
「もっと成長できたのかな」。鹿島時代のプレッシャーと離れて気づいた後悔
彼にとって鹿島で培ったものはあまりにも大きい。鹿島を離れた面々は必ずと言っていいほど「勝利へのこだわりが違う」「基準が高い」という発言をするが、そこは濃野自身も改めて痛感しているところだ。
「鹿島はつねに練習からやるべきことを突き詰めていますし、試合に勝ちに行く。あの環境は本当に素晴らしかったとしみじみ感じます。今のD.Cは鹿島に比べると、そこまで練習をやらないですし、個々の意識も少し違いますよね。
それに何と言ってもサポーターの注目度。離れたからこそ、分かりますけど、よくも悪くもいろいろ言ってくるサポーターが沢山いるのは本当に幸せなこと。今でも僕の試合をチェックし続けてくれている人がいたりすると、恵まれたことだなと痛感します。
正直言うと、自分自身は鹿島ではプレッシャーを物凄く感じながらプレーしていたんです。だけど、今、思うともったいなかったなという気もします。あれだけ注目され、期待される場所でサッカーができることを前向きに捉えてやっていたら、もっと成長できたのかなという気持ちもありますね。
そのサポーターに向けて全力でプレーをしていたつもりですけど、もう少し自分に矢印を向けてもよかったかもしれない。『自分が結果を出すんだ』『勝つんだ』というマインドを選手1人1人が前に出せば、もっと強い集団になれるかなという感覚もあります」と濃野は鹿島時代の自分とチームメートに思いを馳せた。
今季の鹿島は開幕4連勝の後に3連敗を喫するなど、浮き沈みのある戦いが続いている。それでも、10月9日のJ1第9節ではガンバ大阪に2-0で勝利し、13日のAFCチャンピオンズリーグエリート(ACLE)でもコンアン・ハノイを1-0で下した。リーグ戦は5勝1分3敗の6位。チームが立て直しの兆しを見せるなか、濃野も古巣の力を信じ、「大丈夫」と太鼓判を押していた。
「鬼さんにもアメリカに来る前に『成長し続けることが一番大事だ』と言われましたけど、鹿島の選手たちはみんなそう考えて取り組んでいるはず。僕も『周りがどうこうじゃなくて、浮くぐらい突き抜けてやろう』と意識しています。
素晴らしい環境だった鹿島を離れたわけですから、この決断を正解にしないといけないという思いは誰よりも強い。何年か後に振り返った時に『濃野がアメリカに行ったことで、日本人選手の流れや日本サッカーが変わった』と言われるように頑張ります」
清々しい表情でこう語気を強めた濃野。彼の歩んだ道を鹿島関係者やサポーターを筆頭に多くの人々が応援している。ここから一気に高みに上り詰める姿を心待ちにしたいものである。
(取材・文:元川悦子)
【著者プロフィール:元川悦子 フリーライター】
1967年、長野県生まれ。94年からサッカー取材に携わり、ワールドカップは94年アメリカ大会から2022年カタール大会まで8回連続で現地に赴いた。「足で稼ぐ取材」がモットーで、日本代表は練習からコンスタントに追っている。著書に『U-22』(小学館)、『黄金世代』(スキージャーナル)、「いじらない育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(NHK出版)、『僕らがサッカーボーイズだった頃』シリーズ(カンゼン)などがある。
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