ファンタジスタは、絶滅してしまうのだろうか。イタリア語で、ひらめきと技巧で観客を魅了する選手を指す。。かつてイタリアのセリエAには、自由な発想と唯一無二のプレーで観客を熱狂させた数々の名手がいた。しかし、戦術が進化し、選手に求められる役割が細分化された現代サッカーにおいて、そうした個性はかつてほど目立たなくなっている。彼らの才能はいかにして花開き、何を成し遂げ、どのような人生を歩んだのか。栄光も挫折も含め、カルチョを彩った天才たちの足跡をたどる。第1回は、「パレルモのマラドーナ」と呼ばれたファブリツィオ・ミッコリ。(文:佐藤徳和)[2/2ページ]
ミッコリの黒歴史
USCパレルモで6年目を迎えていた2013年、ミッコリは、マフィア的手法を伴う加重恐喝事件をめぐって捜査対象となった。
ナイトクラブに関連する債権回収をめぐる事件だ。ミッコリは仲介役となり、パレルモのカルサ地区のマフィアのボスの息子である友人に助けを求めた。
そして、このボスの息子との会話の中で、ミッコリがジョヴァンニ・ファルコーネ判事を「ファルコーネのクソ野郎」と侮辱する発言をしたことが、電話傍受記録に残された。
ファルコーネとは、自らの生涯をマフィア撲滅に捧げ、1992年にマフィアによって爆殺されたシチリアの英雄的判事だ。
この発言は大きな批判を招き、ミッコリは2013年6月に公の場で謝罪した。
その後、恐喝事件については2021年11月24日、破毀院(日本の最高裁判所に相当)が禁錮3年6か月の判決を支持し、有罪判決が確定した。
それでも、贖罪の機会は訪れた。ミッコリは判事の姉であるマリア・ファルコーネに謝罪し、赦しを得ることとなった。
そんなミッコリにも、今なお後悔していることがあるという。今年4月、『パレルモ・トゥデイ』のインタビューに答え、こう語っている。
「あんな光景は、それまでなかった」
「唯一の心残りは、インテルとのコッパ・イタリア決勝(2010/11シーズン)に最初から出場できなかったことかもしれない。でも、5万人のパレルモのサポーターをローマまで連れて行けたのは感動的だった。あんな光景は、それまでなかった。あの試合は、サンプドリア戦(2010年5月9日)と並んで、キャリアの頂点だったと思う」
そのサンプドリア戦は、UEFAチャンピオンズリーグ(CL)出場権を懸けた事実上のプレーオフだった。
ミッコリは膝をひどく痛めながらも1ゴールを決めたが、試合は1-1の引き分けに終わった。
サンプドリアはシーズン最終順位で4位に入り、CL出場権を獲得。一方、USCパレルモは5位に終わり、UEFAヨーロッパリーグ(EL)出場にとどまった。
今回の引退試合では、収益の一部が『ファルコーネ財団』のプロジェクト支援に充てられる。その一環として、パレルモのカルサ地区に小さなサッカーコートを建設するプロジェクトも進められているという。
もう十分に罪を償っていると言えるだろう。
現在は、現役時代に故郷のサン・ドナート・ディ・レッチェに立ち上げたサッカースクールASDファブリツィオ・ミッコリの運営に尽力している。
残念ながら、男子部門は活動を休止し、女子部門に専念しているが、これまで将来を嘱望される選手も輩出してきた。
男女を問わず、ミッコリのようなイマジネーションあふれる選手の誕生を、誰もが望んでいることだろう。
(文:佐藤徳和)
【著者プロフィール:佐藤徳和】
1998年にローマでの語学留学中に、地元のアマチュアクラブ「ロムーレア」の練習に参加。帰国後、『ポケットプログレッシブ伊和・和伊辞典』(小学館)の制作に参加し、イタリア語学習書などの編集、校正、執筆に携わる。2007年から、フリーランスとして活動し、主にイタリア・サッカー記事のライティングに従事。2014年には、FC東京でイタリア人臨時GKコーチの通訳を務める。IL ROMANISTA、日本特派員。『使えるイタリア語単語3700』(ベレ出版)、『イタリア語基本の500単語』(語研)を共同執筆。日伊協会では、カルチョの記事を読む講座を開講中。X:@noricazuccuru
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