
ナポリ、パルマ、チェルシーなどで活躍し、「マジック・ボックス」と称されたジャンフランコ・ゾラ【写真:Getty Images】
ファンタジスタは、絶滅してしまうのだろうか。イタリア語で、ひらめきと技巧で観客を魅了する選手を指す。かつてイタリアのセリエAには、自由な発想と唯一無二のプレーで観客を熱狂させた数々の名手がいた。しかし、戦術が進化し、選手に求められる役割が細分化された現代サッカーにおいて、そうした個性はかつてほど目立たなくなっている。彼らの才能はいかにして花開き、何を成し遂げ、どのような人生を歩んだのか。栄光も挫折も含め、カルチョを彩った天才たちの足跡をたどる。第3回は、「マジック・ボックス」と称されたジャンフランコ・ゾラ。(文:佐藤徳和)[1/2ページ]
「マジック・ボックス」と呼ばれた男

80年代後半から00年代前半にかけて、魔法のようなプレーで魅了したジャンフランコ・ゾラ【写真:Getty Images】
「マジック・ボックス」。80年代後半からゼロ年代前半にかけて、イタリアとイングランドで、サポーターのみならず、多くのプレーヤーたちをも魅了したジャンフランコ・ゾラの愛称である。相手の予想を超える創造的なプレーで、まるで箱(ボックス)から魔法(マジック)を取り出すように驚くべき技を披露したからだ。
誰がこのようなネーミングを与えたかは明確になっていないが、イタリア・サッカー専門サイト『ウルティモ・ウオーモ』は、元イングランド代表のケヴィン・キーガン(2026年7月20日に他界)の発言が起源になった可能性があると論じている。
「私は、手品の道具箱を携えた魔術師がプレーするのを目にした。その魔術師がその箱を開けるたびに、驚くべきものが飛び出してきた」
バロンドールを2度受賞し、小柄ながら豊富なスタミナでフィールドを駆け回り、「マイティ・マウス」の愛称で親しまれたキーガンによる高い評価は、最大級の賛辞であると言えるだろう。
ゾラ自身も、ナポリのサッカーを中心に扱う番組『Delietta Gol』で、その評価をこう振り返る。
「私はプレミアリーグのほかの選手とは異なる特徴を持ち、より豊かなファンタジーを発揮してプレーしていた」
当時のプレミアリーグは、イングランドの伝統的なフィジカルの強さやスピーディーな展開を重視するサッカーに、外国人選手や監督がもたらす技術・戦術が融合していった時代であった。そんな時代に、ゾラのスタイルは異彩を放った。
サルデーニャの小村で、父が示した道

地中海のサルデーニャ島で生まれたジャンフランコ・ゾラ【写真:Getty Images】
ゾラは1966年7月5日、地中海に浮かぶサルデーニャ島の中東部、ヌオーロ県の小村オリエーナに生まれた。
裕福な家庭ではなく、祖父母は農業に従事し、父は羊飼いを手伝う仕事をしていた。父はその後、トラック運転手になり、バールを開業している。オリエーナは、牧畜が主な生業であった。ゾラは動物たちと共に暮らす厳しい環境の中で育った。
ゾラが最初にボールを蹴ったのは3歳の頃だった。標高1463メートルのコッラージ山の麓のクラブの選手たちからサッカーボールをプレゼントされ、サッカーにのめり込んでいった。
当時のイタリアの少年の多くがそうだったように、ゾラにとっても父親の存在は絶大だった。
しかし、ゾラの父、イニャーツィオは、33歳になって初めてサッカーを知ったという。試合を観て以来、サッカーの虜になり、地元のクラブ、コッラージの運営にも携わるようになった。
もしイニャーツィオがその試合を観ていなかったら、ジャンフランコは果たしてサッカーをやっていただろうか。当時の彼らの生活が、いかに俗世間から隔絶されていたかを物語るエピソードであろう。
すでにこの世を去ってしまったイニャーツィオ。ジャンフランコにとっては、プロフェッショナルの道を歩んでいくうえで、かけがえのない存在であった。
「父は、ボールの蹴り方を教えてくれたわけではなく、私に価値観を示し、私を信頼してくれた。進むべき道を見せてくれたうえで、その道を歩む自由を与えてくれた。それこそが親の役割だと思う」
サルデーニャの新星からセリエAの主役へ

ナポリでセリエA、パルマでUEFAカップを制覇したジャンフランコ・ゾラ【写真:Getty Images】
ゾラは、周囲に高いレベルのライバルがいなかったにもかかわらず、ミシェル・プラティニやジーコ、そしてディエゴ・マラドーナの映像を観ることで、テクニックを吸収していったという。
地元の強豪ヌオレーゼを経て、サルデーニャ島でカリアリ・カルチョに次ぐ第2のクラブ、トッレスでは1986/87シーズンから3年間にわたりプレーする。
ゾラはセリエC2やC1で脚光を浴び、1989年、23歳でマラドーナのSSCナポリへと移籍する。入団初年度にはスクデットを獲得。だが、麻薬の使用やマフィアとの関連が報道されるなど、渦中にあったマラドーナが退団すると、チームは下降線をたどっていく。そんな激動の時代でのプレーであった。
SSCナポリの衰退とは裏腹に、ゾラは順調に成長を遂げ、財政難に陥ったクラブを離れ、新天地へと向かった。北部のパルマである。当時のパルマACは野心的なクラブで、ゾラが加入する前年のシーズンにはセリエAで3位に入り、さらにカップウィナーズカップを制していた。
ネヴィオ・スカーラ率いるパルマACでも、ゾラは主役となった。SSCナポリ時代よりも攻撃的なポジションを任されたことで得点能力が開花し、1年目は18得点、2年目は19得点をマーク。いずれもチーム最多得点だった。