
ナポリ、パルマ、チェルシーなどで活躍し、「マジック・ボックス」と称されたジャンフランコ・ゾラ【写真:Getty Images】
ファンタジスタは、絶滅してしまうのだろうか。イタリア語で、ひらめきと技巧で観客を魅了する選手を指す。かつてイタリアのセリエAには、自由な発想と唯一無二のプレーで観客を熱狂させた数々の名手がいた。しかし、戦術が進化し、選手に求められる役割が細分化された現代サッカーにおいて、そうした個性はかつてほど目立たなくなっている。彼らの才能はいかにして花開き、何を成し遂げ、どのような人生を歩んだのか。栄光も挫折も含め、カルチョを彩った天才たちの足跡をたどる。第3回は、「マジック・ボックス」と称されたジャンフランコ・ゾラ。(文:佐藤徳和)[2/2ページ]
ファンタジスタ受難の時代。イングランドで開花した才能

チェルシーでの2002/03シーズンには14得点を挙げたジャンフランコ・ゾラ【写真:Getty Images】
ところが、4年目を迎えた1996/97シーズン、指導者としてのキャリアを歩み始めて間もないカルロ・アンチェロッティが新監督に就任する。アンチェロッティはエンリーコ・キエーザとエルナン・クレスポを主軸とする攻撃を構築したが、ゾラを生かしきれなかった。
こうして背番号「10」のゾラは、1996年11月にパルマを去ることになる。イタリア稀代のプレーヤーであったロベルト・バッジョも、戦術主義の犠牲者である。ファンタジスタ受難の時代だった。
そして、冒頭で触れたように、チェルシーFCでの復活である。プレイングマネージャーであったルート・フリットによる、イタリア・メディア『l’Unità』への当時のコメントが残っている。
「私はゾラをこれまでとは異なるポジションで、これまでとは違うやり方でプレーさせた。そうしたことで彼の能力を最大限に引き出すことができた。今では誰もが、『ゾラは以前にも増して優れた選手になった』と言っている」
ゾラはロンドンのクラブで傑出した存在となった。1998/99シーズンは13得点、そしてチェルシーFCでの最後の1年となった2002/03シーズンは14得点をマーク。その年、36歳。ゾラのプレーは圧倒的だった。
なかでも、2002年1月のFAカップ、ノリッジ戦で見せたコーナーキックに空中でヒールを合わせた衝撃的な一撃。そして、チェルシーでの最後の得点となった2003年4月のエバートン戦での鮮やかなループシュートは、今なおチェルシーファンの間で語り継がれている。
バッジョという巨大な壁。実現しなかった2人の共演

イタリア代表では不遇だったジャンフランコ・ゾラ【写真:Getty Images】
しかし、プレミアリーグでこれほどのインパクトを残しながら、イタリア代表では、人々の記憶にポジティブな意味でジャンフランコ・ゾラの名を刻むことは叶わなかった。
残念ながら、多くの人々の脳裏に焼き付いているのは、1994年ワールドカップ・決勝トーナメント1回戦、ナイジェリア戦でレッドカードを提示されたシーンだろう。不可解な判定により、退場を命じられたゾラのワールドカップ出場は、この1試合に終わった。
また、この時代にバッジョという存在がいたことも、ゾラには不運だったと言えよう。しかし、ゾラに後悔はない。当時はライバルをどうしたら追い越せるかという葛藤があったが、同時代を生きた者としての思いを明かしている。
「代表でトレーニングが終わると、私は座り込んで、ロベルトがどんなプレーをできるのかを理解しようとした。そして、彼のプレーを分析しながら、自分には彼よりもうまくできることが何かないかと考えた。
あの時間は、自分にとって非常に重要なものだった。自分自身を徹底的に見つめ直すことにつながったからだ。私はロベルトに感謝している。世間が何と言おうと、彼と同じ時代にプレーできたことは幸運だった」
ならば、バッジョとゾラを同時に使うという選択肢はなかったのか。残念ながら、多くの指導者には、ファンタジスタの2人を一緒にピッチに送り込むという考えはなかった。
ゾラは語る。「今、バッジョとゾラが一緒にプレーするチームを想像してみてほしい。どんなことができただろうか。素晴らしいサッカーが繰り広げられたはずだ」
ファンタジスタは絶滅したのか。「魔術師」に託された未来

イタリア・サッカー連盟における育成年代の重役を任されたジャンフランコ・ゾラ【写真:Getty Images】
3大会連続でワールドカップ本大会出場を逃したアッズーリには、もはやファンタジスタはいない。ゾラ2世やバッジョ2世と称されるような後継者も久しく現れていない。けれども、イタリアの若手選手の中から、才能豊かなタレントが姿を消してしまったわけではないのだ。
ゾラは、今年8月5日、イタリア・サッカー連盟(FIGC)の会長、ジョヴァンニ・マラゴーにより、クラブ・イタリアの育成年代に関するプロジェクトのコーディネーターに任命された。アッズーリの将来を担う若手選手を育てるためのプロジェクトを統括・推進する役割だ。
セリエCを管轄するレーガ・プロの副会長を務め、若手選手の起用を促す改革にも携わってきたゾラにとっては、適任と言えるポジションである。
箱から魔法を取り出すように優れた選手を生み出すことはできない。それでも、ゾラの手腕には大きな期待が寄せられている。それは、第2のゾラの誕生だろう。
(文:佐藤徳和)
【著者プロフィール:佐藤徳和】
1998年にローマでの語学留学中に、地元のアマチュアクラブ「ロムーレア」の練習に参加。帰国後、『ポケットプログレッシブ伊和・和伊辞典』(小学館)の制作に参加し、イタリア語学習書などの編集、校正、執筆に携わる。2007年から、フリーランスとして活動し、主にイタリア・サッカー記事のライティングに従事。2014年には、FC東京でイタリア人臨時GKコーチの通訳を務める。IL ROMANISTA、日本特派員。『使えるイタリア語単語3700』(ベレ出版)、『イタリア語基本の500単語』(語研)を共同執筆。日伊協会では、カルチョの記事を読む講座を開講中。X:@noricazuccuru
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