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コラム 2026.10.16 11:00

名前は「ムッソリーニ」、背中には「ROMANO」。独裁者の曾孫がラツィオで背負う複雑な宿命【カルチョを読む】

ラツィオのロマーノ・ムッソリーニ
ラツィオのロマーノ・ベニート・フロリアーニ・ムッソリーニ【写真:Getty Images】



 イタリアの名門ラツィオで、一人の若者がトップチームデビューを果たした。23歳のロマーノ・フロリアーニ・ムッソリーニ。かつてイタリアに独裁体制を築いたベニート・ムッソリーニの曾孫である。しかし、そのユニフォームの背中に記されているのは「MUSSOLINI」ではなく「ROMANO」。「僕の姓は、僕自身よりも周りの人たちを悩ませてきた」と語る青年は、サッカー選手としての評価を望む一方、歴史的な重みを持つ姓によって注目を集め続けている。極右的な思想を持つ一部サポーターの存在でも知られるラツィオで、彼はどのような現実と向き合っているのか。(文:佐藤徳和)[1/2ページ]

「ムッソリーニ」の名を持つ青年がデビュー

ラツィオのロマーノ・ムッソリーニ
ボローニャ戦でトップチームデビューしたラツィオのロマーノ・ベニート・フロリアーニ・ムッソリーニ【写真:Getty Images】



 その時は突如訪れた。

 8月24日、ボローニャFCの本拠地レナート・ダッラーラ。SSラツィオとの一戦だ。

 開始19分、右サイドバックのアダム・マルシッチが負傷すると、一人のラツィアーレがピッチ脇で慌ただしくウォーミングアップを開始。23歳の若者にとって、SSラツィオの一員としての栄えあるデビュー戦だ。

「行け! 走れ!」とサポーターが鼓舞し、場内アナウンサーによって、マルシッチとの交代が告げられる。「ヌーメロ・クインディチ(背番号『15』)、フロリアーニ・ムッソリーニ」。SSラツィオのアウェイ応援席が沸く。

「ドゥーチェ! ドゥーチェ!」。

 ドゥーチェとは「総帥」を意味し、ファシズムによる一党独裁体制を確立させたベニート・アミルカレ・アンドレーア・ムッソリーニを指す言葉だ。

 そう、フロリアーニことロマーノ・ベニート・フロリアーニ・ムッソリーニは、1922年から1945年までイタリアを統治した国家ファシスト党の生みの親、ベニート・ムッソリーニを曾祖父に持つ、SSラツィオ下部組織出身のジョカトーレであるのだ。

 また、実業家の父、マウロ・フロリアーニ(元財務警察隊員)と、元イタリア国会議員で元欧州議会議員のアレッサンドラ・ムッソリーニとの間に生まれた3人目の子どもであり、祖父のロマーノ・ムッソリーニは、ジャズピアニストとして名を馳せ、祖母のマリア・シコローネはテレビ業界で活動した。

 さらに、イタリアを代表する世界的俳優、ソフィア・ローレンとも血縁関係にあり、彼の大伯母にあたる。多くの著名人を輩出した家系に生まれている。

ガットゥーゾ監督の元でトップチーム定着へ

ラツィオのガットゥーゾ監督とロマーノ・ムッソリーニ
ガットゥーゾ監督から声をかけられるロマーノ・ベニート・フロリアーニ・ムッソリーニ【写真:Getty Images】



 ちなみに、フロリアーニの母アレッサンドラは、母方の伯母にあたるソフィア・ローレンの影響もあり、当初は芸能活動に従事し、俳優業を行っていた。

 しかし、次第に政治活動に傾倒。国民同盟やフォルツァ・イタリアなど右派の政党に所属してきた。
 
 ムッソリーニの名の響きは、今も計り知れない。イタリアのみならず、世界の多くの国で、この名はアドルフ・ヒトラーも崇拝したイタリアの独裁者の名をすぐに連想させるものだ。

 それゆえ、SSラツィオのプリマヴェーラにベニート・ムッソリーニの曾孫がいるということは、当時から大きな話題となった。

 1-0でリーグ初戦に勝利を収めたSSラツィオ。『ラ・ガッゼッタ・デッロ・スポルト』は緊急出場したフロリアーニに、及第点以上の「6.5」を付けている。

「序盤は硬さが見られ、イエローカードも受けたが、その後は徐々に調子を上げた。得点につながるプレーにも絡み、終盤には(アルテム・)ドフビクに対して決定的な守備を見せた」

 上々のデビュー戦となった。その後の3試合では先発出場。188cmの恵まれた体格を活かし、攻守で存在感を発揮している。

 2003年1月27日にローマで生まれたフロリアーニは、少年時代にASローマにも所属した経験を持つが、13歳の時にSSラツィオに移籍。ビアンコチェレステで長くプレーし、下部組織の監督を務めていたトンマーゾ・ロッキの指導を受けている。

 2021年3月にSSラツィオとプロ契約を締結したが、すぐにデビューとはならず。23/24シーズンにはデルフィーノ・ペスカーラ(セリエC)、24/25シーズンはユーヴェ・スタビア(セリエB)、25/26シーズンはクレモネーゼ(セリエA)とレンタルで武者修行を繰り返し、着実にステップアップしてきた。

 そして昨季、トップリーグで28試合に出場した実績を残し、ついに今季はジェンナーロ・イヴァン・ガットゥーゾが指揮するSSラツィオのトップチームに残ることとなったのだ。

 フロリアーニを語るとき、避けては通れないのは、「ムッソリーニ」の姓だ。

「僕の姓は、僕自身よりも…」

ラツィオのロマーノ・ムッソリーニ
背中のネームは「ROMANO」【写真:Getty Images】



 テレビの解説を聞いていると、「ロマーノ」や「フロリアーニ」で語られることが多い。ボローニャFC戦での場内アナウンスで「フロリアーニ・“ムッソリーニ”」と発せられたことには驚かされた。

 実は、ユーヴェ・スタビア時代、2024年12月22日のチェゼーナFC戦でゴールを決めたとき、物議を醸す事態が起こった。

 スタジアムのアナウンサーが「ロマーノがゴールを決めました!」と告げると、観客からは「ムッソリーニ!」という姓を叫ぶ声が何度も上がり、右手を胸の前に掲げ、「ローマ式敬礼」とされるジェスチャーが繰り返された。

 このシーンの動画がたちまちSNSで拡散され、ファシストの象徴であるこのジェスチャーに対して、議論が巻き起こった。

 ユーヴェ・スタビアでプレーしていた当初、背番号「15」の上には“F.MUSSOLINI”の名前が記載されていた。その前にペスカーラ・カルチョでもこのようなネーミングがされていたが、クレモネーゼでは背番号「22」の上に姓ではなく自身の名前である“ROMANO”だけを記すようになった。

 そして、SSラツィオでは、プリマヴェーラ時代には“FLORIANI.M”などとされていたが、今季はクレモネーゼでプレーしていたころと同じ“ROMANO”が背番号の上に綴られている。

 これだけユニフォームのネーミングが変わった選手は、そういないだろう。フロリアーニはクレモネーゼ時代に自身の姓について、このような見解を語っている。

「僕の姓は、僕自身よりも周りの人たちを悩ませてきた。このクラブに来られたことを嬉しく思う。クレモネーゼへのレンタル移籍が承認され、すぐに受け入れたよ。僕の姓が問題を引き起こしたことは一度もないし、僕としては、話題にならないほどいいと思っている。僕はサッカーのピッチで自分を表現するためにここにいるのであって、それ以外のためではない」

 フロリアーニ自身は、サッカーに集中したい意向を強調している。

 さらに問題となるのは、SSラツィオのサポーターの政治的立ち位置である。

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