「この舞台でやらないとサッカー選手を終われないな」。2026年北中米W杯を見て、そう感じたという濃野公人。これまで年代別を含めて一度も日本代表に招集されたことのない24歳は、2030年大会を見据え、鹿島アントラーズからアメリカ・メジャーリーグサッカー(MLS)のD.C.ユナイテッドへ渡った。一方、古巣への愛情は今も変わらず、鹿島時代に感じていたプレッシャーを振り返り、「もっと成長できたのかな」と後悔も口にする。単独インタビュー最終回では、世界の舞台を目指す野心と、鹿島を離れて初めて気づいた思いに迫る。(取材・文:元川悦子)[1/2ページ]
MLS挑戦3か月目。プレーオフ進出を目指す濃野公人の現在地
濃野公人のアメリカ・メジャーリーグサッカー(MLS)での新挑戦も3か月目に突入。所属するD.C.ユナイテッドは現地時間10月14日、ニューヨーク・レッドブルズを2-1で下し、勝ち点33とした。イースタンカンファレンス15チーム中12位と苦しい状況にあるものの、プレーオフ進出圏となる9位FCシンシナティとの勝ち点差は3に縮まった。
レギュラーシーズンは残り6試合。10月は延期試合を含めて7試合の超過密日程が組まれており、ここからの巻き返しが期待される。10月初旬の取材で、濃野は今季の目標についてこう語っていた。
「夏に話をいただいた時から、今季はプレーオフに上がることを1つの目標にしていましたし、そういう意図のあるオファーだったので、自分はそれを実現させる力になりたいと思っています。
プレーオフ圏内はメチャクチャ混戦で、どこが浮上のきっかけをつかむか全く分からない状況。自分のフィジカルも100%に近づいてきましたし、もっといいパフォーマンスを出せるはず。今までよりいいサッカーができると信じています」と彼は力を込めていた。
MLSは広大なアメリカ・カナダを移動しながら戦うため、環境や時差への適応力や柔軟性も求められる。その経験を通してタフさや逞しさに磨きをかけられていることも、濃野の大きな自信になっているようだ。
「こっちはアウェーの移動が全部飛行機。それもチャーターなんで、車で15分くらいの場所にある空港に集合して、すぐに乗って出発できるんです。だから『面倒だな』と思ったことはないですし、鹿島にいた時の方がよっぽど移動はしんどかったですね(苦笑)。しかも1人3席使えるんで、横になって移動できる。かなり快適です」と本人も笑っていた。
アメリカのスポーツへの投資というのは凄まじい。日本代表が2026年北中米ワールドカップ(W杯)でベースキャンプを張ったナッシュビルSCの施設も豪華だったが、D.C.も恵まれた環境にある様子だ。そこでサッカーに集中しつつ、英語のレッスンも精力的にこなし、徐々にコミュニケーション力も上がっているのだから、今後のブレイクも近そうだ。
濃野はD.C.ユナイテッドと2028/29シーズンまでの3年契約を結んでおり、2029/30シーズンの延長オプションも付いている。今後の具体的な移籍先や時期については言及を避けるものの、2030年W杯を見据え、今回のアメリカ行きを選んだという。本人はその先のキャリアも意識しながら、日々の努力を重ねている。
「今は先のことを言及するタイミングではないですけど、自分の内なる思いはあります。今回も、2030年W杯が開催される4年後を見据えて、その1年目はどこにいるのが最適かを考えたうえでの選択なので、のし上がっていきたいという意欲は強いです」と彼は野心を露わにする。
代表招集ゼロから2030年W杯へ。「選ばざるを得ない」存在になるために
2002年3月生まれの濃野はパリ五輪世代。ただ、これまでは一度も日の丸をつけた経験がない。2026年W杯には同じ学年の久保建英(レアル・ソシエダ)や鈴木唯人(フライブルク)が参戦。9・10月シリーズにはもっと年下の齋藤俊輔(ウェステルロー)や佐藤龍之介(バレンシア)らロサンゼルス五輪世代も招集されていて、「早く自分もそこに辿り着かなければいけない」という思いは高まっているはずだ。
「今までのサッカー人生でJFA(日本サッカー協会)が僕を選んだことは1回もなかった(苦笑)。なので、『今すぐ見てよ』とかそういう思いはないです。鹿島でも結果を出していた時期はありましたし、それでも代表がついてこなかったことを考えると、『もう選ばざるを得ない』ってくらいにならないとダメなんだと思う。僕は自分の歩みを止めないようにするだけだと感じています」と賢い濃野は冷静に自身を客観視する。
2026年W杯に対しては、1ファンの目線で純粋に日本を応援した。鹿島で共闘した早川友基がピッチに立つことはなかったが、選手たちにはリスペクトの念を抱いていたという。
「ブラジル相手にあれだけ面白いサッカーができたのは、日本サッカーが成長している証拠ですよね。僕自身は1選手として『この舞台でやらないとサッカー選手を終われないな』という思いにさせてもらいました。
どこにいても、サッカー選手は一瞬の結果を求め続けられる世界。そのチャンスが転がってきた時にどれだけ準備ができていて、それをモノにできるかが大事。僕はつねに自信を持って挑めるように準備するだけかなと考えています」と彼は静かに言う。
「大好きなんです」。古巣・鹿島への変わらぬ愛情と将来の復帰への思い
意識の高い濃野であれば、MLS挑戦にとどまらず、欧州の異なる環境でプレーすることもあるだろう。そういった多彩なキャリアを積み重ねた後、いつか鹿島に戻ることになれば、多くのファン・サポーターも喜ぶに違いない。実際、鹿島の系譜を見れば、柳沢敦コーチ、中田浩二FD、小笠原満男・ユースコーチ兼アカデミーアドバイザー、内田篤人(なでしこジャパンコーチ)など海外から古巣に戻った選手は数多くいる。現メンバーも鈴木優磨、安西幸輝、植田直通、柴崎岳、三竿健斗が復帰組。彼らが中心となって2025年J1タイトルを勝ち取るに至った。
「鹿島が『自分をまた呼び戻したい』と思ってもらえるような選手で居続けることがすごく大事だと思います。
26-27シーズン開幕後の試合を見ていても、あのタイミングで抜けてしまった申し訳なさを猛烈に感じたりしますし、2年半、お世話になったクラブのことが僕は大好きなんです。鹿島にはつねに強くいてほしいし、優勝するクラブであってほしいというのは心の底から思っていること。その手助けをしてほしいといつか言われるようなことがあれば、ノーというのは難しいと思いますよ」と濃野もいつかは常勝軍団の一員になって、新たな黄金期を作ることになるのかもしれない。



