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松田直樹という生き方 ~第2回 ナイジェリア恐るるに足らず~

『魂のフットボーラーが語る過去・現在・未来と中田英寿』
2011年2月21日に発行された『フットボールサミット第2回』では、松田が横浜F・マリノスから戦力外通告を受け、移籍先が決まっていないタイミングでロングインタビューを行った。該当号のフットボールサミットは中田英寿を特集したものだが、松田直樹の人となりが非常に良く表れたインタビューとなっている。今回改めて、ウエブにて再掲させていただく。

text by 宇都宮徹壱 photo by Tetsuichi Utsunomiya

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「ベルマーレは弱いから、オレが行って強くする」

――さて、今号の「フットボールサミット」は中田英寿特集です。松田さんご自身、彼とは高校時代からずっと代表でプレーしていましたし、お互い遠慮せずに意見を言い合える仲だったと思います。そのあたりのエピソードを語っていただけますでしょうか。最初の出会いは、U-15代表のころですよね? 

松田 いや、そのころは財前(宣之=現BECテロ・ササナ)のほうがインパクトありすぎで、中田の存在を意識するようになったのは、もう少しあとですね。よく(東京駅の)銀の鈴で集合したんですけど、そこで最初に来るのが中田で、次がオレだったんですよ。東京に住んでいるやつは計算がつくんですね。でも、あいつは山梨の田舎で、おれも群馬の田舎なんで、なんかあったら不安だから、中田1番、オレ2番って感じ(笑)。そういうイメージはいつも強かったですね。あと、当時からあいつは奇抜なファッションでしたよ。

――そのころから仲は良かったんですか?

松田 中田は頭がいいから、上の人と話すのが好きだったみたいです。でも自分とは、合わなすぎて合ったというか。自分も何とも思わなかったから気楽でしたし。就職のときも、あいつに電話しているし。

――彼は、たくさんオファーをもらった中で、かなり早い時期に平塚(現湘南ベルマーレ)と決めていたらしいですね。そんな中田さんの決断力に、当時の松田さんは感心していたそうですが。

松田 ぜんぜん覚えていないですけど、あいつの場合はいろいろビジョンがありますよね。今もそうだし、これからも、そういうビジョンを持ちながらやっていくと思うんですけど。自分の場合、あまり先が考えられない人間なので。もちろん、その場、その場で、ある程度は考えますけど、気持ち次第で動く人間なので。

――進路を決めるに当たり、中田さんの言葉で印象に残っているものはあります?

松田 ちょっと失礼かもしれないけど「ベルマーレは弱いから、オレが行って強くするんだ」と言っていたことは覚えていて「こいつ、半端ないな」とは思いました。だからオレもベルマーレは(候補のひとつとして)考えましたし、練習参加も行きましたよ。

――そうだったんですか! 当時の平塚で、松田さんと中田さんが一緒にプレーしている光景を想像するのは、それはそれで面白いですね。ただ松田さんは、井原さん(正巳=現柏レイソルコーチ)がいたマリノスで勝負がしたかったと。それはそれで半端ないと思いますよ。

松田 やっぱり当時の日本代表のイメージでは、DFと言えば井原さんでしたから。で、オレもその時には天狗癖がついていて、やっぱり一番になると決めていたので、マリノスに入団した当初も「この人を抜けば代表に行ける」という勘違いはしていました。

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