松田直樹という生き方 ~第1回 トリコロール以外のユニフォームは着ないでくれ~

『魂のフットボーラーが語る過去・現在・未来と中田英寿』
2011年2月21日に発行された『フットボールサミット第2回』では、松田が横浜F・マリノスから戦力外通告を受け、移籍先が決まっていないタイミングでロングインタビューを行った。該当号のフットボールサミットは中田英寿を特集したものだが、松田直樹の人となりが非常に良く表れたインタビューとなっている。今回改めて、ウエブにて再掲させていただく。

2013年01月18日(Fri)7時52分配信

text by 宇都宮徹壱 photo Tetsuichi Utsunomiya
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 今週末の日曜日、急逝した松田直樹選手を追悼する『松田直樹メモリアル 新春ドリームマッチ群馬2013』が開催される。2011年2月21日に発行された『フットボールサミット第2回』では、松田が横浜F・マリノスから戦力外通告を受け、移籍先が決まっていないタイミングでロングインタビューを行った。該当号のフットボールサミットは中田英寿を特集したものだが、松田直樹の人となりが非常に良く表れたインタビューとなっている。今回改めて、ウエブにて再掲させていただく。(編集部)


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日本サッカー界の未来を見つめる19歳の眼差し

 松田直樹の面構えを、初めて意識して見た日のことを、今でもよく覚えている。

 あれは1996年の桜の季節、場所は銀座4丁目。三越正面にお披露目した、2002年ワールドカップ招致活動PRの巨大な懸垂幕のモデルに、松田が採用されたのである。当時、横浜マリノス(現横浜F・マリノス)の2年目で19歳。この年に行われるアトランタ五輪で、飛び級最年少で選ばれるのは、少しあとのことだ。

 広告代理店が松田に白羽の矢を立てたのは、その注目度もさることながら、やはりその面構えにあったのだと思う。懸垂幕の松田の顔は、サッカーボールで口元が隠されているため、その分、眼差しが強調されている。混じりけのない松田の澄んだ瞳は、遠く未来を、しっかりと見据えている。その未来とは、すなわち自身の未来であり、また日本サッカー界の未来である。松田の瞳に映る未来は、どこまでも光り輝き、希望に満ちているかのような、そんな眩いばかりのビジュアルイメージであったと記憶している。

 あれから15年近くが過ぎた。かつては日本の消費者の憧れの的であった銀座が、今ではすっかり中国人富裕層に依存するようになってしまったのと同様、日本サッカー界もまたよくも悪くも大きく変貌を遂げた。

 日本代表に関しては目を見張るような躍進を遂げ、ワールドカップ出場はもはや自明のものとなりつつある。代表クラスの選手の海外移籍も、もはや珍しいものではなくなった。では、Jリーグはどうか。

 確かに、クラブ数は飛躍的に増えた。1部・2部合わせて38チームを数えるようになり、ほとんどの都道府県がJクラブを持つようになった。しかしその一方で、リーグに集まる富と注目度は分散化され、華のある選手は随分と少なくなってしまった。また、おりからの景気悪化に伴い、各クラブは軒並み人件費の圧縮を迫られ、これまで多大な貢献をしてファンから愛されてきたベテランが、無慈悲な戦力外通告を受ける事態が続出した。

 その中に、松田直樹の名前もあった。昨シーズン終了直前のことで、この時33歳。当人にとっても、サポーターにとっても、まさに青天の霹靂とも言える戦力外通告であった。その後のサポーターとクラブ側、両者の息を飲むような応酬については、それこそ長大なリポートが書けてしまうくらいのものなので、ここではあえて割愛する。それよりも気になるのは、渦中の松田が今、何を想い、これからどう生きようとしているか、であろう。

 とはいえ、ただ話を聞くだけではもったいない。インタビュアーである私は、ある「仕掛け」を施すことにした。それが「中田英寿」である。U-15代表時代からのチームメイトでありながら、キャラクターもフットボーラーとしての生き方も、まったくの真逆の存在である「中田英寿」をぶつけることで、より松田直樹像を浮き立たせたい――。そんな想いを胸に、今なお旺盛なファイティング・スピリッツを誇る日本屈指のディフェンダーに対峙することと相成った。(文中敬称略)

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