鹿島アントラーズのリーグ優勝に貢献した選手たちにフォーカスを当て、今季中に行ったいくつもの取材の中で得た選手や関係者の証言から振り返る連載をスタート。第1回となる今回は、自己最多のリーグ戦31試合に出場した舩橋佑を取り上げ、アカデミー出身の23歳が飛躍した理由に迫る。(取材・文:加藤健一)[1/2ページ]
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「でも腐らずにやってきた。アントラーズで戦いたい」
小さい頃から袖を通してきたユニフォームを着て、歓喜の瞬間を迎えた。舩橋佑にとっては、大きなターニングポイントになるシーズンになった。
舩橋は「小さい頃からいたクラブで優勝できたのがすごく嬉しいし、このメンバーとかスタッフと優勝できたのが嬉しい」と言った。その言葉には、ここまで積み重ねてきた時間が静かに滲んでいた。
31試合――。ボランチの選手の中では、チームで最も多くの試合に出場した今季は、飛躍という言葉だけでは語りきれない。
過去4年間でリーグ戦の出場は27試合。時間にして580分。一昨季は55分、昨季はわずか47分と、1試合の時間にも満たなかった。
「正直、焦りはありました。去年、出場機会がなかなか得られなくて、悔しさもありました。でも腐らずにやってきた。やっぱり他のチームに行くんじゃなくて、アントラーズで戦いたい。そこを強く思って続けてきたことが、今に繋がっていると思います」
他クラブで経験を積むという選択肢もあったが、鹿島で戦いたいという思いが勝った。その気持ちが、今につながっている。
ベンチ外からスタートした今季。飛躍のきっかけとなった試合は…
ボランチには元サッカー日本代表の柴崎岳、三竿健斗、昨季のJリーグベストイレブンの知念慶らが揃っていた。プレシーズンのゲーム形式や練習試合でもサブ組に入ることが多く、ボランチではないポジションで出ることもあった。
「プレシーズン、キャンプ含めてのところでは、あんまり自分の中で吸収できなかった」
開幕節はベンチ外だったが、第2節で途中出場を果たす。自身と向き合い続けた日々が、後の飛躍につながっていく。
流れを変えるきっかけとなったのが第3節のアルビレックス新潟戦だった。途中出場した舩橋は鬼木監督から試合後に「強度高くやってくれた」と声を掛けられた。
その言葉は、彼にとって確かな手応えとなった。「ああいうアグレッシブな姿を鬼さんも必要としてた」と舩橋は振り返る。舩橋の中で、確かな基準ができた瞬間でもあった。
出場機会も増えてきた4月下旬、鬼木監督も舩橋の変化を感じていた。
「積極性が出てきた。自分がこのゲームをどうにかしたいという意志が必要なので。普段のトレーニングから出しているので、そういうのを常に出せるようにしてほしい」
鬼木監督は「全然甘いですよ。甘いですけど」と前置きしていたが、舩橋の成長を喜ぶ柔らかい目をしていた。
「あの悔しさはたぶん忘れない」
「やっぱり多少は波がある。無難になってしまうときがある。常に研ぎ澄まされた状態でやれるようになると、もっといい選手になると思う」
このときに鬼木監督は課題も挙げていた。それは、後半戦になって改めて感じるものでもあった。
夏場までは舩橋が先発メンバーに名を連ねることが多かったが、次第に先発起用される試合が減っていく。残り試合が減っていく中で2位との差は縮まっていく。優勝争いという未知の領域で舩橋はこれまで味わったことのない緊張感を感じていた。
「やっぱり緊張もあったし、プレッシャーもある中で、やっぱ自分のプレーを出すことの難しさっていうのは、やっぱ試合に出場してみて感じる」
9月以降、10試合で先発したのは4試合。優勝を決めた横浜F・マリノス戦も、その瞬間をベンチで見届けた。
先発を掴み切れず、胸に残ったのは喜びと悔しさの入り混じった感情だった。
「僕自身はすごく悔しさを体で感じた。あの悔しさはたぶん忘れないと思う。でもこの喜びも知れた」
両方を胸に抱えながら、それでも前へ進む。その姿勢が、今季の舩橋を形づくったのだろう。
食事を変え、トレーニングの方法を見直し、映像も繰り返し見た。一つひとつの積み重ねが、今年の成長につながった。



