小学生のときから鹿島アントラーズのアカデミーに在籍していた大川佑梧は、2026シーズンからトップチームでプレーする。幾多の名選手を輩出したセンターバックで輝くため、大川は現状を冷静に見つめながら、プロの舞台に上がる準備を整えている。(取材・文:加藤健一)[1/2ページ]
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史上初のユース3冠。その中心にいた18歳
鹿島アントラーズというクラブにとって2025シーズンが特別なものになった理由は、明治安田J1リーグを9季ぶりに制したことだけではない。
第49回 日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会
2025 Jユースカップ
高円宮杯 JFA U-18サッカープレミアリーグ 2025 ファイナル
鹿島ユースは主要3大会すべてを制し、堂々の3冠を達成。このチームでキャプテンを務めていたのが左利きのセンターバック、大川佑梧だった。
最終ラインから試合を組み立て、空中戦でも存在感を示す。守備者としての役割を全うしながら、ビルドアップの起点にもなれる存在として、チームの軸を担ってきた。
もちろん、クラブもその能力の高さを高く評価する。2026シーズンからは鹿島アントラーズの一員としてプロの世界に身を置くことが決まっている。
プレミアリーグファイナルでPK戦の末に優勝を決めた直後、U-22日本代表への追加招集がリリースされた。
舞台は年上の大学生やJリーガーが集う『IBARAKI Next Generation Cup2025』。急な代表参加だったが、この18歳はその機会を冷静に受け止めていた。
「追加でも呼ばれることがアピールのチャンスですし、これがオリンピックにつながるならと思っていました。ありがたい機会だなと」
ユースでの大一番を終え、休む間もなく代表へ合流した。気持ちの切り替えは簡単ではないようにも映るが、大川の感覚は少し違った。
冷静すぎた18歳。「目指しているところはもう少し上のところ」
「優勝できたのはすごく嬉しかったですけど、その日の夜には“勝ったな”くらいの感覚でした。浮つくこともなく、いいメンタルで入れたと思います」
いい意味で18歳らしくない冷静さだった。その理由について大川は「自分のプレーが良くなかったっていうのもあるんですけど」と前置きしつつ、次のように話している。
「目標を達成できたことはすごく嬉しいですけど、目指しているところはもう少し上のところだったので。だから切り替えられたのかなと思う」
勝利しても浮かれることなく冷静に振り返る姿に記憶があった。2025シーズンの明治安田J1リーグを制したトップチームの選手たちの雰囲気と重なるものがあった。
思い返せば、クラブユース選手権のときには、大きなアクシデントがあった。FC東京U-18を下した準決勝の翌日、7月30日にロシア極東カムチャツカ半島沖で発生した地震による津波の影響で鹿嶋市内は津波警報が発令された。
翌日にはベガルタ仙台との決勝が控える中、トップチームやユースの選手、スタッフは避難を余儀なくされている。そのようなアクシデントにも動じず、鹿島ユースはクラブユース選手権を獲ることができた。
「その状況の中で決勝を勝てたというのは、結果も素晴らしいですし、そういう背景があったというのは知ってほしい」
トップチームを率いる鬼木達監督はそう話しており、トップチームの練習に参加する選手たちをこう評価していた。
「正直、全然試合に出られるレベルじゃない」
「本当に見劣りしないというか、すぐに入れてしまう。トップを知っている人がアカデミーでトレーニングをしているから、繋がってきているんだろうなと」
小笠原満男がアカデミーアドバイザーを務め、昨季までは柳沢敦がユースの監督、曽ケ端準がユースのGKコーチを務めていた。常勝軍団を築き上げた選手が指導者となって、ユースにもそのマインドを植え付けていた。
「スタッフの方々は勝っても負けても“次、次……”という感じ。その積み重ねで、自然と切り替えができるようになっていると思います」
結果に満足するのではなく、次に何をすべきかへ意識が向く。これは個人の性格だけでなく、鹿島というクラブで培われた感覚でもあった。
今季はトップチームの練習にも数多く参加した。プロの基準を間近で体感し、自身の現在地を突きつけられる時間でもあった。
「正直、全然試合に出られるレベルじゃないなと感じました。ただ、全部が通用しないわけでもない。少しでも通用しそうなところは伸ばしつつ、足りないところはもっとやらなきゃいけないと思っています」
「左足のキックと、守備の対人、ヘディング」が自分の武器。一方で、ユース年代では通用していた部分が、必ずしもプロの世界で通用するとは限らないことも痛感している。
「ヘディングも全然通用しないことが多い。だからこそ、そこは武器になるようにやらなきゃいけないところだと思っています」



