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「夢みたいな話ですけど」7年前JFLにいた岡村大八は国際舞台に。FC町田ゼルビアを「アジアNo.1に」再び夢を現実に変える【コラム後編】

シリーズ:コラム text by 竹中愛美 photo by Getty Images,Editor
FC町田ゼルビア 岡村大八

FC町田ゼルビアの岡村大八【写真:編集部】



 FC町田ゼルビアは日本時間4月18日、サウジアラビアで開催されるAFCチャンピオンズリーグエリート(ACLE)準々決勝に臨む。加入2年目ながら町田の守備の要として欠かせない存在になっているのが岡村大八。JFLからJ1の舞台へと這い上がってきた自身のキャリアからACLEは「夢みたいな話」だという岡村に大会にかける思いを聞いた。(取材・文:竹中愛美)[1/2ページ]

【単独インタビュー/取材日:4月9日】

岡村大八にとって初めてのACLEとは?

ACLEの舞台でプレーするFC町田ゼルビアの岡村大八

ACLE第7節、上海申花戦でプレーするFC町田ゼルビアの岡村大八【写真:Getty Images】

 FC町田ゼルビアはJ1初挑戦の2024シーズンを3位で終え、AFCチャンピオンズリーグエリート(ACLE)出場権を獲得した。

 昨季はリーグ戦6位と望んだものではなかったが、天皇杯で優勝し、目標としていたタイトルを獲得。

 今季の補強は控えめだが、百年構想リーグでも前半戦を終えて3位につけるなど、常勝チームとしての足場を着実に築いている印象がある。

 昨年秋からはじまっているACLEでも初出場ながら、予選リーグを首位で突破。ラウンド16で江原FCを下し、サウジアラビアで集中開催される決勝トーナメントのファイナルズへの進出を決めた。



 岡村大八にとっても初めての国際舞台とあって、「ありがたいですし、あんまり実感がないんですよ。ACLの準々決勝に行っているという感覚がない。目の前の1試合に本気で取り組んで、勝つために行動することだけなので」と率直に答えてくれた。

「たぶん、7年前のJFLにいた自分に『7年後にACL出てるぞ』と言っても信じないくらい、ちょっと夢みたいな話ですけど、ここに立っている以上、結果で、プレーで示さなければいけないと思いますし、そのチャンスを活かしていかないとその先はないと思います。

 まだACLの上にはクラブワールドカップがあります。浦和(レッズ)も去年出ていたので、浦和が出ているんだったら自分たちも出られると思いますし、しっかり勝ち切って臨みたいなと思っています」

 岡村が話したように、これまでのキャリアは決して順風満帆なものではないのかもしれない。

「それ、結構言われるんですけど…」JFL、J3、J2、J1と各カテゴリーでの経験が今に

2020年、J2ザスパクサツ群馬時代の岡村大八

2020年、J2のフィールドプレーヤーでは唯一、全42試合にフル出場したザスパクサツ群馬時代の岡村大八【写真:Getty Images】

 前橋育英高校時代は3年次に高校サッカー選手権で準優勝を果たすが、メンバー入りできず、観客席から応援していた。

 高校卒業後は立正大学に進学。J3のザスパクサツ群馬でのプロサッカー選手としての扉を開くが通用せず、2019年8月、JFLのテゲバジャーロ宮崎に期限付き移籍となった。

 翌2020年に群馬へ復帰し、J2のフィールドプレーヤーでは唯一、全42試合にフル出場。空中戦や対人の強さなど、そのポテンシャルが認められ、J1の北海道コンサドーレ札幌へ完全移籍を果たす。

 様々なカテゴリーでのプレーを経験し、今でこそJ1のトップレベルで輝きを放つ岡村だが、これまでのサッカーキャリアでは苦杯を舐めることも多かっただろう。

 その悔しい思いから逃げず、どのように這い上がってきたのか問うと、「それ、結構言われるんですけど、何なんですかね。単純に僕は負けず嫌いだったことがまずひとつ」と言い、言葉を繋いでくれた。



「いろんな試合に出られない矢印を監督やコーチとか、環境に向けることが1番簡単で、僕は最初そうしていたんですけど、それをしなくなったのはすごく良かったのかなと思います。“もう全部自分が悪い”と、そう思わせてしまっているのは全部自分だから。試合に立たせないと思わせているのも自分だし」

 岡村は負けず嫌いであったことがこれまでの自分を形成してきたと話す。そして、もうひとつは自分を応援してくれる人たちの存在だという。

「自分を応援してくれる家族を裏切りたくなかったのもそうですし、その思いでひたむきにサッカーを続けていたら、ザスパが声を掛けてくれたので、藁にもすがる思いで、サッカーの道に進み出しました。試合に出られなかったときも宮崎に行って、いろんな人と話して、触れ合って、いろんな経験をして。

 群馬に戻ったときにJ2で試合には出られました。そこからステップアップして、札幌に行ったときも1年目はなかなか試合には出られなかったですけど、ミシャ(当時の札幌の監督の愛称)サッカーを覚えて、先輩の話も聞いたりして。それでやっと、自分の定位置を掴んだという感じなので、周りの声を聞きながら、自分の力を信じて努力し続けた結果かなとは思います」

 7年前、JFLにいた岡村青年からすれば、ACLEの舞台は「夢みたいな話」だろう。だが、その描いた夢を叶えるために自身と向き合い、努力を積み重ねたからこそ今がある。

ACLEファイナルズの舞台はこれまでの恩を返していく舞台に

2021年、北海道コンサドーレ札幌1年目の岡村大八

北海道コンサドーレ札幌1年目、リーグ戦で先発はわずか4試合のみだった【写真:Getty Images】

 

「やっぱり夢というか、目標としては上でやりたいというのは常に持ち合わせていましたけど、なかなかJFLという場所でそれを言っても、“何を夢見てんだ”という感じだったと思います。

 ただ、僕はその夢を周りになんて言われようが崩さなかったですし、自分はそこでやるというのを持っていたからこそ今があると思います。自分の信じた夢や目標に向かってやり続けるのが1番の近道なのかなと思います」

 自身の中でもその夢や目標と現実の間にはギャップがあったという岡村。ステップアップの陰には札幌での4年間があったようだ。

「特に1年目に関しては、(リーグ戦)21試合に出ましたけど、スタメンは本当に数試合しかなかったですし、その中で悔しい思いをしながらも信頼を掴むために努力し続けた結果が今に繋がっていると思います。

 札幌のファンやサポーターの方々にもそうやって言っていただける機会が多いですけど、逆に僕は札幌にいたからこそ、今があると思っている。本当に今まで所属したすべての選手、チームもそうですし、監督やスタッフにも感謝して、ピッチ上でプレーで示していかなければいけないと思っています」



 そうした意味でもACLEファイナルズの舞台はこれまでの恩を返していく舞台にもなりそうだ。

「海外の選手はスケールも違いますし、タッパもありながらパワーもあるし、スピードも速いというところでなかなか難しい。

 自分個人の力ではなかなか勝てない相手が出てくるかもしれないですけど、そういったときには質や量で勝負したり、うまく仲間を使いながら、仲間に頼りながらしたりして。チームとして90分で勝利を掴み取るために自分の力を何かしら使えたらいいかなと思っています」

 ここまで岡村の中で育まれてきた反骨精神を伝えてきたが、その原動力となっていることにも触れておきたい。淀みなく岡村はこう言い切った。

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