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アルゼンチン代表は時代遅れなのか。メッシの「1」+「9」という異質。一気に戻された時計の針【北中米W杯注目国分析】

シリーズ:北中米W杯注目国分析 text by 西部謙司 photo by Getty Images


アルゼンチン代表【写真:Getty Images】



 FIFAワールドカップ2026(北中米W杯)が幕を開けた。日本代表はもちろんのこと、いわゆる強豪国と称されるチームのパフォーマンスにも期待が集まる。そこで今回は、各国のサッカーの歴史や戦術に詳しい西部謙司氏に、北中米W杯における注目国について分析してもらった。アルゼンチン代表編をお届けする。(文:西部謙司)[1/2ページ]

アルゼンチンの歴史


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マラドーナを擁し1986年のW杯を制したアルゼンチン代表【写真:Getty Images】



 第1回FIFAワールドカップ(W杯)で準優勝。当時の南米はウルグアイとアルゼンチンが二強だった。

 第二次世界大戦で中止された2大会は、もし開催されていればアルゼンチンが優勝候補だったと言われている。「ラ・マキナ」の異名で知られるリーベル・プレートの黄金時代だったからだ。

 元祖「偽9番」のアドルフォ・ペデルネーラ、アルゼンチン史上屈指の名手とされるホセ・マヌエル・モレノらのアタックラインが強烈だった。

 モレノはW杯に出場していたら後輩のアルフレード・ディ・ステファノやディエゴ・マラドーナと並ぶ名声を得ていたかもしれない。

 無冠の帝王だったアルゼンチンの初戴冠は1978年。37歳の若きセサル・ルイス・メノッティ監督は軍事独裁政権からの「絶対優勝」のプレッシャーの下、まだ無名だったオズワルド・アルディレスなど国内リーグの若手を抜擢し、攻撃的なプレースタイルで優勝を勝ちとっている。

 2度目の優勝は1986年。カルロス・ビラルド監督に率いられたチームはディエゴ・マラドーナに攻撃の全権を委ね、マラドーナを支えるために9人のフィールドプレーヤーが奮闘する1+9の構図で優勝。

 ここからメノッティ派とビラルド派に分かれたサッカー観の対立が生まれた。

メノッティ派とビラルド派。アルゼンチンらしいのは…


メッシ+9人でW杯を制した2022年のアルゼンチン代表【写真:Getty Images】



 メノッティは「大衆のサッカー」を掲げ、本来アルゼンチンが持っていた技術と攻撃力を重視した。

 一方、それ以前のアルゼンチンといえばハードワークと堅守速攻で、リベルタドーレス杯はアルゼンチン勢がタイトルを半ば独占していた。この70年代の強豪だったエストゥディアンテスの選手がビラルドで、彼のプレースタイルはこちらの系譜である。

 メノッティはアルゼンチンの伝統を復活させたと言ったが、ビラルドの方式もまた伝統だったわけだ。

 その後、アルゼンチン代表監督はメノッティ派もビラルド派もいたが、どちらがよりアルゼンチンらしいかと言えば、ビラルド派の方だろう。2022年に3回目の優勝を成し遂げたチームはリオネル・メッシという神輿を担ぐ典型的な1+9の構成だった。

 欧州系が85%を占める国民の中、最も多いのがイタリア系だそうだ。言語はスペイン語だがナポリ訛りが見られるという。サッカーのプレースタイルもそのせいかイタリア的だ。

 強固な対人守備が特徴だが、一方でクリエイティブなアタッカーも数多く輩出している。前記のモレノ、レアル・マドリーの黄金時代を築いたディ・ステファノ、イタリアに帰化したバロン・ドール受賞者オマール・シボリ、そしてマラドーナ、フアン・ロマン・リケルメ、メッシと「10番」の系譜は途切れることなく続いている。

 守備の強さと創造的アタッカーの組み合わせを考えれば、ビラルド方式が合理的なのだ。

メノッティとビラルドを統合したのが…


ビエルサ率いる2002年のアルゼンチン代表は優勝候補だったが…【写真:Getty Images】



 82年、メノッティ監督は前回優勝メンバーにマラドーナを加えた布陣で臨んだが、2次リーグでイタリアとブラジルに敗れて敗退している。強力なアタッカーを5人並べるスタイルは魅力的ではあったがバランスが難しかった。

 これで優勝するには徹底的に攻め潰すか、アタッカーが応分の守備負担を担えなければ成立しにくい。メノッティは全員攻撃全員守備の理想を掲げていたが、それよりもスーパーな1人を9人で支える方が現実的だったといえる。

 ある意味、メノッティとビラルドを統合したのがマルセロ・ビエルサ監督。南米予選で圧倒的な強さを見せ、2002年大会の優勝候補だった。
 
 アヤックスの3-4-3システムを採用した全員攻撃全員守備のスタイルを実現させていた。厳しいマンマークと鋭い攻撃力を併せ持っていた。

 ところが02年大会はグループステージ敗退。直前でガブリエル・バティストゥータを加えながら、絶好調だったリケルメを選ばなかった。このどっちつかずの対応が完成されていたスタイルにヒビを入れてしまったようだ。

 ただ、これ以降はメノッティ派かビラルド派か、という論争は鎮静化している。ビエルサ方式という模範解答がいちおう示されたからだろう。

 ところが、時計の針は一気に巻き戻された。

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