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F・トーレスが誓うアトレティコへの忠誠。“エル・ニーニョ”とロヒブランコ、純愛の物語【後編】

2015年、心のクラブであるアトレティコ・マドリーに復帰したフェルナンド・トーレス。他のどんなビッグクラブでプレーしようともアトレティコへの忠誠を誓い続けてきた。美しき物語の主人公はいかにして生まれ、堅い絆の源には何があるのか? トーレスのアトレティコ復帰時に、スペイン紙「マルカ」アトレティコ・マドリーセクションのチーフが綴った壮大なコラムを掲載する。(文:アルベルト・ロメロ・バルベーロ/翻訳:江間慎一郎/『欧州フットボール批評 special issue 01』より転載)

text by アルベルト・ロメロ・バルベーロ photo by Getty Images

【前編はこちらから】

強大な権力に立ち向かうチームこそアトレティコ

 トーレスにまつわる壮大な物語の仕掛け人は、一体誰であったのか。本人の言葉によると、それは彼の祖父エウラリオだった。

「学校では、ほぼすべてのクラスメートがレアル・マドリーのファンだった。僕は納得がいかず、いつも祖父の下へ駆け寄ったよ。祖父は簡単な言葉を使いながら、アトレティコのことを語ってくれた。

 彼の話は選手たちのことじゃなかった。マドリッドの紋章である熊がエンブレムに入っていることなど、アトレティコが僕たちマドリッド市民にとって、どのような存在かを真剣に教えてくれたんだ。

 心に染み入ったのは、この100年の歴史を持つ組織を支えてきたメンタリティーだね。懸命な努力、献身の姿勢、マドリーという存在に押しつぶされない忍耐力、彼らとは違う形で巨大な存在となることを目指す野心……。

 祖父から何度も言って聞かされたのは、努力を怠らず、決してあきらめることなく戦い続けることだった。誰かの助けなど必要とせず、強大な権力に立ち向かうチームこそアトレティコ。だから祖父、そして僕は、永遠にこのクラブの人間であり続けるんだ」

 時は流れて、1995年。11歳となり、顔がそばかすにまみれたトーレスは、マドリッドの南、アギラス地域に位置するクルセス公園のピッチで、アトレティコのセレクションに臨んだ。この緊張の場でも驚異的な得点力を誇示した彼は、数週間後に二次セレクションも突破し、憧れのクラブのカンテラ入りを果たした。

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