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INAC神戸レオネッサの航海図

text by 河崎三行 photo by Kazuhito Yamada

澤が驚嘆するI神戸のチーム作り

「サッカー観が違い過ぎました。身体能力まかせの1対1の勝負や前線へのロングボールばかりに頼って、チーム戦術がない。ボランチとして味方のカバーリングに入ったら、監督に『自分の仕事をやれ!』と怒られるんですから……。私はこんなサッカー求めていない、と」

 しかも09年のリーグ誕生からわずか2シーズンで、すでに4つのチームが経営難のため解散している。澤のいたワシントンはまだ存続しているが、身売りによってオーナーが替わった。

「先行きが不安でレベルも高くないリーグに我慢して留まるよりは、同じサッカー観を共有できる指導者や仲間たちと1年を通してプレーしたいと思ったんです。しかも今年は、女子W杯やロンドン五輪予選がある。アメリカとの間の長距離移動に煩わされることなく、万全の体調で代表合宿に臨みたいという思いもありましたし」

 とすれば、彼女の日本復帰とI神戸入りは必然の選択だった。

「外から来ると凄さがよくわかるんですけど、ここにはサッカーにべストな状態で打ち込める条件が全部揃ってる。この新しいチームでどんなサッカーができるのか、今から楽しみなんですよ」

 日米女子サッカーの盛衰を知り尽くした澤も驚嘆するI神戸のこうしたチーム作りは、文弘宣氏の存在を抜きに語れない。アミューズメント施設、ホテル、外食、写真加工サービスなどを幅広く展開する地元神戸出身の実業家で、I神戸の運営会社であるアイナックコーポレーションの会長も務めている。つまりはI神戸のオーナーである。サッカー経験は高校までだが、なでしこリーグの公式戦ではベンチに入り、選手に檄も飛ばす。

 I神戸は01年、男子ジュニアユース年代の育成クラブをビジネスとして展開すべく、文会長が設立した。ところが当時の専任コーチの人脈の関係から女子選手の方が多く集まり、やがてクラブの軸足は女子サッカーへと移っていった。文会長によれば、初めてプロ選手と契約したのは05年だったという。

「02年に関西女子リーグに加盟するや3部、2部、1部と駆け足で昇格していきました。その過程で、仕事探しに困っている選手を、うちのグループ企業で採用するようになっていったんです。05年からはLリーグ(現なでしこリーグ)2部で戦うことになり、戦力アップの必要に迫られましたが、知名度もない新興チームに国内の有力選手が来てくれるはずもない。そこで2人のブラジル人選手とプロ契約を結びました」

 そのうちの1人は現役ブラジル代表で、のちに北京五輪で銀メダルチームの一員となったほどの選手。しかし当時はアメリカのプロリーグが休止していた時期だったので、破格の安値で獲得できた。このブラジルコンビの活躍で、I神戸は参入1年目にして2部優勝を遂げる。1部に昇格した06年は、仕事との両立の難しさから引退を決意していた元日本代表2名と、現役韓国代表1名ともプロ契約を結ぶ。他のアマチュア選手は全員、昼間は文会長の経営するグループ企業で働いていた。

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