ハーフナー家の絆 ~親子ニ代で日本人になるということ~(後編)

2013年02月27日(Wed)14時29分配信

text by 元川悦子 photo Kenzaburo Matsuoka
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ハーフナー・ファミリーの日本サッカー界への貢献度

 ディドがそこまで語気を強めるのも、マイクが所属するフィテッセの指導者たちに「マイクはまだ日本人だ。オランダ人みたいに個人主義になるべきだ」と言われたことが大きいようだ。マイクは日本人選手との交流を大切にしていて、香川真司(ドルトムント)や内田篤人(シャルケ)らドイツ国境付近に住む仲間と週1回ペースでデュッセルドルフに集まって食事会をしている。日本人同士の結束を強め、日本代表の意思統一を図ることはできるが、欧州では1人で戦い抜いていく強さが必要だ。それをよく理解している父は、息子にハッパをかけ続けている。

 確かにマイクはややナーバスな一面を持ち合わせている。顕著な例がユースからトップに上がったマリノス時代だ。試合出場機会に恵まれず、ユース代表でもレギュラーポジションを失った。2006年AFC U-19選手権(インド・バンガロール)で体調を崩したのを機に、吉田靖監督(現U-19日本代表監督)は森島康仁(大分トリニータ)をスタメンに抜擢。マイクはスーパーサブに位置づけられた。

「『下げられた』とマイクは落ち込んでいました。でもその原因が体のバランスの悪さだということに僕は気づいていた。マイクは成長期が遅かったうえ、身長が5㎝伸びた月があれば全然伸びない月があったりと、バラバラだったんです。それでピッチに立ってもフラフラしているみたいに見えた。ニッキは毎月きちんと身長が伸びているから体のバランスがすごくいいけど、マイクみたいな子はヨーロッパには結構います。僕はそれが分かってたんで、『マイクは大丈夫。体が違うんだから』と言い続けましたね」

 サッカーに情熱を傾けてきた父が傍ら支えてきたことで、マイクは足踏み状態の時期を乗り越え、2008年のアビスパ福岡へのレンタル移籍をきっかけに上昇気流に乗った。ヴァンフォーレ甲府1年目の2010年にはJ2得点王に輝き、2011年には念願だった日本代表入りを達成。ザックジャパンに新たな攻撃のオプションをもたらした。そして今年、父のアドバイスに従って、ヨーロッパの玄関口といわれるオランダに移籍。より上を目指している。弟・ニッキにしても日本にはいないスケールの大きな大型DFとして成長中だ。

 子供たちが生粋の日本人として、日本のレベルアップに尽力していることを、ディドは心から嬉しく感じている。ハーフナー・ファミリーの日本サッカー界への貢献度の大きさを我々は今一度、認識すべきだろう。

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