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どこまでも紳士なアーセン・ヴェンゲルが頑なに拒んだ“ある儀式”

text by 東本貢司 photo by Asuka Kudo / Football Channel

ブリティッシュフットボール界独特の“儀式”

ヴェンゲル・アーセン
アーセン・ヴェンゲル監督【写真:工藤明日香(フットボールチャンネル)】

 それがヴェンゲルという人だ。常に人を見ている。その印象を記憶にとどめ、理解しようとする。わずかな変化も(美点も瑕疵も)見逃さない。そして、彼なりの最適な言葉をひねり出し、彼なりの最善の対応をひねり出す。それこそが〈コード〉のベーシックであり、彼を慕い畏怖する人々(プレーヤー)の脳に訴えるコミュニケーション術なのだろう。

 その極意中には当然、あえて言葉を伴わせないケースもある。「無言」もまた重要なコミュニケーションテクニックの一つなのだから。それに関連して、イングランドを誰よりもよく理解し、その礼儀、マナーに敬意を示すヴェンゲルが、これまで頑なに拒んできた、あるブリティッシュフットボール界独特の“儀式”がある。

 おそらくは紳士協定の証しとしてであろう。ゲームが始まるまでのほんの一時、ホームの監督がビジターの監督をスタジアム内の自室に招き、ワインやカクテルをふるまって談笑するという、いわば自由裁量に基づく習慣がある。

 当然、これから行われる試合に関することは一切話題にされない。あくまでも、政治経済や互いの家族についてなどの四方山話を通じて「友情」を確かめ合い、それとなく健闘を誓い合うのである。

 殊に、“この業界の古顔”のサー・アレックス・ファーガソンはこのひとときをこよなく愛し、最大の好敵手ヴェンゲルにも「とびきり上等のワインを用意して」再三招待の意を伝えたが、つれなくされるばかりだった―――と自伝の一節に書いている。

 たぶん、理由はごく単純に、ヴェンゲルにとって「筋が通らない」ことだからだろう。公の場ならともかく、閉ざされたプライベートな空間(それも“敵”の懐)で二人きりの時間を過ごすことは道義に反する、と。それもまた彼の為人(ひととなり)に違いない。

 ならば、いつの日か、揃って“しがらみのない自由の身”になったとき、この二人の老兵がほろ酔い気分で愚痴を叩き合うシーンを、是非、覗き見してみたいものではないか。

【了】

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