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世界の舞台を夢見た“少年”の軌跡―最も世界の頂点に近いフリースタイルフットボーラー・徳田耕太郎

 専用のサッカーボールを使い、その芸術性とパフォーマンス性を競うスポーツ“フリースタイル・フットボール”。2012年、この競技の世界大会で優勝したのは弱冠20歳の日本人プレイヤー・徳田耕太郎だった。そして今年9月、世界大会の日本初開催が決定した。舞台は東京・増上寺―。

 怪我を機に13歳でフリースタイル・フットボールに出会い、日々技を磨いて行った徳田。フリースタイル・フットボールの現在と、世界の舞台を夢見た“少年”の軌跡を追う―。

text by 編集部 photo by Red Bull Content Pool

“遊び”から“競技スポーツ”へ ~フリースタイル・フットボールが歩んだ道のり~

 フリースタイル・フットボールとは、サッカーの練習でよく行われる“リフティング”をより高度に、よりパフォーマンス性を高めたストリート系スポーツである。その原型が生まれた2000年代前期、「サッカーを楽しむための一種の遊び」という印象を強く持たれていたが、その競技人口の増加とともに、フリースタイル・フットボールは“束の間の遊び”ではなく“一競技”としての地位を確立するまでになった。

 フリースタイル・フットボールは、ここ10年で急速な進歩を遂げた。その背景には、インターネットの飛躍的な発展がある。世界各国の選手たちがオリジナル技をネット上に公開していくことで、他の選手たちは真似をし、さらにその技を自らの中に取り込み消化することで進化させていった。

徳田耕太郎
徳田耕太郎【写真:(C)Red Bull Content Pool】

 その技は数百になるといわれ、地面にボールを置いて足裏などで動かす「グラウンド・ムーブ」や足でリフティングしながらボールをまたぐ「エア・ムーブ」、尻を地面につけて行う「シッティング」などと、より高度さ・華麗さを求める技へと枝分かれをしていく。

 年々、競技人口も技の種類やレベルも高まっており、フリースタイル・フットボールの国際的な大会も増加してきている。中でもメジャーとされているのは、Red Bull主催の「Red Bull Street Style World」。

 試合形式は、1対1で行うボール・リフティングのバトル。制限時間3分間で、30秒ずつお互いのパフォーマンスを披露。バトル開始時に流れるDJミックスとうまく融合を測り、1つのボールで手以外の体の部位(足、胸、肩、頭など)を駆使し、動きの創造性や、リフティング技術、パフォーマンスとしての完成度を競う。

 2008年はブラジル、2010年は南アフリカで開催された。そして、第3回目となるイタリア・レッチェでの「Red Bull Street Style World2012」世界王者になったのが、当時まだ若干20歳の日本人プレーヤー・徳田耕太郎。欧州の活躍が目立つフリースタイル・フットボール界で、アジア人初となる歴史的な快挙を成し遂げたのだった。

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